最近は老老介護だけでなく、10代20代という世代への介護の負担も「社会の問題」として認識されるようになりました。
介護を要する人が一人いることで、家族関係は大きく変化します。
高齢者や病気の人に接し直接的なケアをする機会は、意味があるものだと思います。
大事な家族を見守りたいという思いは、大切だと思います。
ただこれから社会に出る前の青年たちが、何かを諦めなければならないほどケアを担わせられる状態は「問題」であるといえるでしょう。
それは、「ケアの人権」のうち、「ケアすることを強制されない権利」を配慮する必要があるからです。
<子どもがケアの担い手として期待された場合の自責の念>
子どもをどのように定義するかは難しいのですが、社会的・経済的に自立する段階までと考えて読んでいただければと思います。
私には自分が3歳頃の記憶がいくつかあります。その年齢の記憶が果たして本当の記憶なのか、周囲の話を元にイメージとしてできあがったものなのかはわかりませんが。
当時、私の兄弟が長期にわたって入退院を繰り返していました。
母親が夜間付き添いで出かける時には祖母の家に預けられていたのですが、祖母と叔母が私の大好物を夕食に出してくれたのに、私は泣き叫んで頑として食べなかった状況が浮かんでくるのです。
その記憶は単に母親が恋しいというだけでなく、入退院を繰り返す兄弟のために頑張らなければいけなかったのにわがままだった自分のような一種、自責の念のような気持ちにさせるものです。
私自身が兄弟の直接のケアをさせられたわけでもないけれど、家族の中にケアを必要とする人がいれば、子どもながら何かを抑え、時には正体不明の自責の念まで感じるのかもしれません。
結果的にその体験は、私にとってはよいものになりました。
特に助産師になってから障害や疾患でご両親の力がそちらに注がれる赤ちゃんが誕生したときに、そのお兄ちゃんやお姉ちゃんの気持ちが痛いほどわかりました。
うまく伝わったかどうかはわからないのですが「寂しい気持ちを我慢しなくていいよ」と話しかけるようにしていました。
そしてご両親も今は目の前の赤ちゃんのことでいっぱいだと思いますが、上のお子さんはこんな気持ちになりやすいということを話すようにしていました。
私はその経験を生かせるようになりましたが、それは子ども時代の自責の念を受け止めてくれる大人の存在があったからかもしれません。
<子ども時代の体験はどのように将来へつながるか>
どの小説にどのようなシーンがあったのかは覚えていないのですが、戦前・戦中ぐらいに子ども時代を過ごした小説家の私小説には、親が結核やそのほかの病気で臥せっている様子の回想がよく描かれていた記憶があります。
おおよそ「子どもらしさ」からはほど遠い、現実ではないかと思います。
子どもながら病気や死への恐怖や孤独、何かわからない自責の念などが強くあったからこそ回想するほどの記憶になったのかもしれません。
そして多くの人に読まれる小説に形を変えて表現されたのではないかと思っています。
そのような形になるまでにその小説家たちには何が必要だったのだろうと考えた時に、親とはまた別の大人との関係があったのではないかと思うのです。
私自身は、20代になって両親より少し若いあるご夫婦に出会いました。
親の前では自分を抑えて生きてきたものが、そのご夫婦の前では自由に話しそして対等な立場で話を聞いてもらえました。
疑似親体験とでもいうのでしょうか。
最初は理想的な「親」のように見えましたが、もちろんそのご夫婦とお子さんの間にもいろいろあったのだと思います。
でもこの経験から、子どもというのは養育者だけでなくさまざまな大人との関わりがあれば、もっと世界が広がる可能性があるのではないかと思えるようになりました。
とりわけ、養育者の立場でご自身がケアを必要としていたり、あるいはケアを抱え込んでいる時に、子どもには養育者以外の大人と接する機会をつくる。
これは「私的な領域」ではなく、社会で子どもを見守る視点ではないかと思っています。
そして子どもに限らず、家族の中にケアを必要とする人がいるということは「家族のケア」という私的領域ではなく、社会の中で考えるシステムがあるほうがいろいろな意味で希望を持てる状況になるように思います。
「ケアとは何か」まとめはこちら。