世界はひろいな 26 <お正月の過ごし方>

30年ほど前に看護職になってから、お正月やゴールデンウイークあるいは夏休みとはほぼ無縁の世界です。
年末年始に仕事から解放されていたのは、海外に行っていた3年と助産師学生だった1年だけで、あとは出勤です。


嫌ではなく、むしろいつもより人の少ない駅を通勤するのも好きですし、日常の仕事を粛々としているところに安心感もあったりします。


代休も世間と同じ長さの連休をとれることはほとんどないのですが、それでも人が働いている平日に休みだと、それはそれでけっこう楽しいものです。


ただ休日が続くと、検査や処置・手術などの調整が大変なので、1998年(平成10年)にハッピーマンデー制度が始まったときは、正直なところこれ以上連休をつくらないでと思いました。



あまりお正月という雰囲気が好きでないのは、子どもの頃からだったかもしれません。
せっかくの休みなのに大掃除に追われ、それはまあしかたがないとしても、大晦日の夜までおせち料理づくりやお正月の準備をしている横でまったりすることもできずにいる、あの落ち着かない時間が苦手でした。
「(おせち料理やめればいいのに)」と思っても、言えません。


1970年代に入って「おせちもいいけどカレーもね」というコマーシャルがはやった時に、きっと「そうそう!」とほっとした人が多かったのではないかと勝手に思っています。
あれは1976年でキャンディーズだったのですね。


それとお正月の形式を大きく変えたのは、セブンイレブンが1973年にできたことかもしれません。
「お正月に開いている店はない」からおせち料理を準備しなければいけない、という常識が覆ったのですから。


1980年代初めに看護職になると、「年末年始は仕事だから」という理由であの年末の落ち着きのない時間から解放されて、私はとてもうれしかったのでした。


1980年代半ばに東南アジアで暮らした時には、その国はクリスマスと旧正月はにぎやかなのですが、日本のような年末年始はありませんでした。
「新たな年になる」ことにも特別な思いはないようで、淡々と時間が過ぎて行くことが私には合っていました。


「Happy New Year!」と英語の挨拶はあるのですが、現地の言葉ではそれらしい言葉もなさそうでした。


旧正月などに家族や親戚あるいは近所で集まってごちそうを食べるのは一緒ですが、1日で終わりますし、形式張った事もないところが新鮮に感じました。


帰国してからまず、年賀状を止めました。
追われた気持ちになって形式的な挨拶をするのはやめようと。
年賀状を頂いたら、その方だけに返事を書いています。


家内安全・商売繁盛の初詣とも縁がなくなり、静かに考える(祈る)時間になりました。


おそらく私が生まれた半世紀くらい前であれば、自分が好きなようにお正月を過ごすというのはまだまだ社会的には認められなかったのではないかと想像しているので、私自身は良い時代に生まれてよかったとほっとしています。


ということで、今日も淡々と働きに行きます。
できれば年末年始も通常通り泳ぎに行けると尚うれしいのですけれど。


皆様にとっても充実した時間でありますように。




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