「空中を飛んでいるような泳ぎ」

先週の競泳日本選手権の録画をぼちぼち観ながら、余韻にひたる毎日です。


そんな中、4月14日にNHKの「めざせ!2020年のオリンピアン/パラリンピアン」で、「競泳の悩める新星×メダリスト松田丈志」を放送していました。


番組の最後の部分で15歳の中学生スイマーの「オリンピックは松田選手とってどんな舞台ですか?」という質問に、松田選手の答えた中にあった表現が今日のタイトルでした。


特に2008年の北京オリンピックで200mバタフライで銅メダルをとった時の泳ぎが、松田選手にとっては「後にも先にもない泳ぎで、あの感覚をもう一度感じたい」というようなことを話されていました。


「Cloud9」という会社の「CLIENT」に松田選手の紹介が書かれていました。
2008年の北京オリンピックでは日本新記録で銅メダルを獲得し、2012年のロンドンではフェルプス選手に迫る勢いで、手に汗握る熱戦でした。
わずか0.25秒差で3位になり、2度目の銅メダルに「自分色のメダル」というコメントが伝えられました。


出場するからには金メダルを目指していらっしゃったのだと思うし、わずか0.25秒差に悔しさはいかばかりかと、当時はこちらが辛くなりました。
でもあの時に相変わらず淡々とした表情で語っていたのは、メダルや記録というよりも「あの空を飛ぶような泳ぎ」を何よりも求めていたからだったのでしょうか。


2008年といえば世界中で世界記録が続々と出て、高速水着で揺れた年でした。
「なぜ泳ぎ続けるのか」で紹介したインタビュー記事で、当時のことを松田選手がこう語っています。

レーザー・レーサーの登場は衝撃でしたよね。最初は、最近なんかやたら海外の選手が早いなって思って、自分もそれなりにトレーニングをして力をつけていっている感覚はあるけれど、海外の選手の伸びが違うと感じたんです。ひょっとして水着が違うのかなと思って、レーザー・レーサーを着てみたときは本当にびっくりしました。飛び込んだ瞬間から感覚が違うというか。


そして松田選手もそれまでのスポンサーを失っても、高速水着を選択して北京オリンピックに出場し、現在の日本記録をその時に出したのでした。


翌年には高速水着が禁止され、高速水着で樹立された世界記録や日本記録を更新することは選手の皆さんにとっては大変そうだった印象があります。


それでも、ロンドンオリンピックで松田選手はその高速水着で出した日本記録に0.24秒に迫るタイムでの銅メダルでした。
水着だけではない、やはり努力と経験によるものだったとほっとしました。


今回の番組をみて、松田選手は日本記録やメダルではないものを目指して泳ぎ続けていることがわかりました。
そして、そんな姿勢に私もずっと魅かれ続けているのかもしれません。


先日の日本選手権の200mバタフライでは3位だったので、世界水泳の代表にはなりませんでした。
ちょっと寂しい気もしますが、準決勝、決勝で見せた泳ぎはとても余裕があって伸び伸びと泳いでいるような印象を受けました。
3位になったのも、最後は失速ではなく、なにかまだ余力を残しながら周囲の選手を見ながらペースを作っていたような感じに私には見えました。


そう、ちょっと空を飛んでいるような泳ぎに近いような、そんな感じでした。