難民についてのあれこれ 3 <「難民」という言葉について>

私が初めて「難民」という言葉に出会ったのはいつだろうと思い起こしてみるのですが、記憶がとてもあいまいです。


たぶん、としかいいようがないのですが、1970年代半ばの高校時代の歴史の授業では耳にしていないのではないかと思います。
1970年代半ばにはすでにインドシナ難民がボートピープルとして報道されていたのだと思いますが、私がこの言葉を意識し始めたのは1980年代に入って犬養道子さんの著書を通じてだったと思います。


こちらの記事で国際難民高等弁務官(UNHCR)が第二次世界大戦によって大量の難民が出たことがきっかけで設立されたことを、そしてこちらの記事では1951年に「難民の地位に関する条約」ができていることは書きましたが、1970年代の日本の高校生向けの世界史の教科書に「難民」という言葉が使われていたのかどうかは記憶がありません。


どうしてこんなことを書いているのかというと、「難民」という言葉は古くからある日本語ではなく、比較的新しいここ数十年ほどの言葉ではないかと気になっているからです。


1980年代初頭、「難民問題」に関心が出始めた頃、まず突き当たったのが参考になるような一般向けの本がないことでした。
難民救援活動を立ち上げた民間団体のニュースレターなどはわずかにありましたが、「難民とは何か」を学問的にまとめてある本を手に入れることはできませんでした。
今のようにネットで探せる時代ではなく、都内のいくつかの大きな書店の社会問題・国際問題の棚を時々見て回っていましたが、いつも徒労に終わりました。


これから難民キャンプで働くというのに、「難民とは何か」についてわかっているようでわからないままという宙ぶらりんな感情をもたらす言葉でした。


<「難民・強制移動研究のフロンティア」より>


今は難民問題に直接関わることもない毎日ですが、この30年ほどは書店に行くたびに難民についてまとめた本がないか、なんとなく気にしていました。


あの頃に比べれば各地の難民問題を扱った本を見かけるようになりましたし、「難民問題」というジャンルの棚もできて隔世の感ありといった感じです。
でも私が求めていた「難民という言葉はなにをさしているのか」という、総論的な本はなかなかお目にかかりませんでした。


今年になって、こんな内容を読みたかったのだという本を見つけました。

「難民・強制移動研究のフロンティア」
 墓田桂・杉木明子・池田丈佑・小澤藍(編著)
 現代人文社、2014年3月


世界史は高校生ぐらいの知識しかなくしかもその大半を忘れたので、この本の行間を読みながら理解していくことは、久しぶりに骨の折れる読書といった感じです。


ですからまだ全部は読み切れていないのですが、私の知りたかったことは序論にほとんど網羅されていました。


<「難民」から「強制移動」へ>


「はじめに」では「難民・強制移動研究(Refugee and Forced Migration Studies)は比較的新しい研究領域でありながら、世界的に豊かな広がりをみせてきた」と書かれています。


難民だけでなく「強制移動」という言葉も包含される研究に広がってきた変化に、まず驚きました。



さて、どれくらい新しい研究領域かというと以下のように書かれています。

従来行われてきた難民問題に関する研究は、1990年代以降、「強制移動(forced migrtion)という包括的な概念のもと、難民のみならず、国内避難民を含めた多種多様な「強いられた移動」の研究へと発展してきた。(p.8)

ああ、やはりターニングポイントは1990年代の初めあたりだったのだろうと、この変化が実感としてわかるような気がします。


1980年代初頭は「難民問題」というのはどこか「外国で起こっている特殊な問題」というニュアンスでした。日本にも「強制連行」「在日韓国人朝鮮人」あるいは先日の中国残留孤児のような問題があるのですが、それは難民問題とは別の問題として受け止めているのではないかと思います、現在にいたるまで。


また、1980年代初頭まではインドシナ難民のように、難民とは「国外へ避難する」人たちを指していました。


ところが1980年代から90年代にかけて、世界各地で内戦や大規模開発によって土地を追われる国内難民という人たちがたくさん生み出されて問題になりました。


国内外を問わず、あるいは戦争が理由だけではない住み慣れた土地から強制的に移動させられることも含まれる方向へと「難民問題」が広がりを持ったのは、そういう背景があるのだと思います。


その「強制移動」について以下のように書かれています。

では具体的に何をもって「強制移動」、または「強制移動民(forced migrants)」とするのだろうか。この研究領域においては、難民や庇護申請者(asylum seekers)はもとより、紛争などを原因とした国内避難民や、開発によって移転を余儀なくされた人々が対象とされてきた。しかし、それ以外にも、人身取引の被害者や、また2000年代に入ってからは、自然災害や気候変動によって避難・移動する人びとの状況が論じられる機会が増えてきた。また、明白な被害は受けてはいないが、内政の混乱を背景に生計手段を求めて移住を決意するような、言うなれば「難民と移民の中間者」の存在や、難民とさまざまな移動者が混在するような移動も議論の対象となっている。
(p.11)


これを読むと「難民」「強制移動」も、今、日本の社会に起きていることそのものであることがわかります。


ただし、「強制とはなにか」。
それが指し示すことを明確にすることの難しさも、この序論には書かれていました。


それにしても30年前には私自身「難民とはなにか」手探り状態で、ただ人道的に助けられるべき人たちという一方的な思いで日本を飛び出したので、時間をかけて多くの研究者によっていろいろな視点から見直され、議論された言葉となって、今こうして読むことができることに静かに感動しています。
これが学問というものなのだと。





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