帝王切開について考える 2 <周手術期看護・・・手術を中心にした看護>

こちらの記事に書いたように、私は外科系看護に関心がありました。今から30年以上前のことです。


なぜ外科系に関心があったのか自分でも思い出せないのですが、手術室のあの緊張した雰囲気と、麻酔器や人工心肺を使って、目の前の人が意識もなくなり動かない状態で病巣を切除したり縫合し、麻酔から覚醒すると回復していくことに魅かれていたのではないかと思います。


もしかしたら、私が小さい頃に兄弟が入院して、1960年代当時ではまだまだ珍しかった形成手術を受けたことが、心に残り続けていたのかもしれません。


残念ながら新卒の時には手術室勤務は募集がなくて、外科病棟に配属になりました。
でもちょっとアバウトなところがある私には、手術室看護や集中治療室(ICU)看護は向かなかったかもしれないと、その運命にほっとしたところもありました。


<外科系看護から周手術期看護へ>


1980年代初頭の当時は最先端の医療機関で働いていたつもりでしたが、現代の医学から考えれば今昔と思えるほど様相が変わりました。


1980年代半ばに難民キャンプでの勤務を終えて、一時、内科病棟に勤務した時にはすでに、数年前までの「内科看護」の概念を越えるような変化がありました。


それまでの内科というのは、食事療法や安静、そして注射や内服での治療が中心でした。


ところが、1980年代後半になると一般の市中病院の内科病棟でも人工呼吸器が使われたり、内視鏡による外科的な治療も行われていて、それまでの内科と外科という境界線があいまいになっていきました。


また1990年代ごろになると、内科・外科という切り分け方だけでなく、急性期と回復期あるいは慢性期、そしてターミナル(終末期)といった看護の境界線が変化していきました。


そして手術を受ける方への看護は「周手術期看護」という言葉で呼ばれるようになりました。
あ、このあたり「周手術期看護」の言葉の歴史はよくわからないのですが。


<周手術期看護の特徴>



ブログを読んでくださっている方々の中には、ご自身が手術を受けた経験があったり、ご家族や親戚の中に手術を受けた方がいらっしゃることでしょう。
周囲に手術を受けた知人がいないという人の方が珍しいくらいではないかと思います。


Wikipedia手術では、「用手的に創傷あるいは疾患を制御する治療法で、生体に侵襲を加えるものをいう」と書かれています。


手術だけでなく、たとえば採血や点滴で針をさすことも「生体に侵襲を加える」ものではあるのですが、手術というのはその侵襲が桁違いに大きいという感じです。


WIkipedia侵襲には以下のように書かれています。

侵襲とは、生体内の恒常性を乱す事象全般を指す医学用語である。

医学用語であるため、一般の感覚と異なる。侵襲とは、「病気」「怪我」だけでなく「手術」「医療処置」のような「生体を傷つけること」すべてを指す。なぜなら、病態であれ、その治療であれ、侵襲に対する生体反応は同じであり、それを知らずして(侵襲を以て)人を治療することはできないからである。


わずか数行ですが、わかりにくですね。


手術前までは病気などがあったにしてもそれなりに生活をしていた人が、手術で病巣を取り除いたり縫合することが体の負担になってしまい、予想していた「回復」を得られないことがあります。
最悪の場合、手術そのものが死に直結する事もあります。


その手術による侵襲というリスクをとっても実施する価値があるからこそ行われる、それが手術というあたりでしょうか。


それぞれの手術による侵襲はなにか、それを理解できないと、周手術期看護の標準化は不可能だと言えます。


日本での帝王切開術に対する周手術期看護はどんな感じなのでしょうか。
そのあたりを次に考えてみようと思います。