事実とは何か 1 <わからない状態に耐える>

「事実」という言葉を何度耳にし、何度言葉にしてきたことでしょうか。


同じ現象や状況をみても人によってそこから感じ取る「事実」が違うことは、日常茶飯事といった感じです。


ある人はその事実を「こう受け止めた」のに別の人は違う受け止め方をしたことで、感情に行き違いが出たり、価値観の違いとなったり、あるいは仕事や人間関係に問題が生じたりします。


少し前の話になりますがあの新幹線での放火事件の報道で、事実とはなんだろうと考えさせられました。


あの日はお昼ご飯を食べながら、いつも通り正午のNHKニュースを見ていました。
たしか0時19分ごろだったと思います。突然、新幹線が停車している中継とともに、「心肺停止2名」「1号車デッキで油のようなものをかぶった」あと新幹線で煙が出たために緊急停止しているというニュースに切り替わりました。


興味深いのは、NHKは0時40分頃まで上の2つの「事実」だけを繰り返し報道していたのに対し、民放にチャンネルを変えてみると、「男性が心肺停止」「一人が心肺停止、一人死亡」「自殺を図ったらしい」と、どんどんと「事実」が報道されていきました。


そして最初の報道から30分もしないうちに、民放では「男性が焼身自殺をした」という事実になっていました。


そして「新幹線が開通して51年目であるが、今回の事故は新幹線の事故ではない」ことまで断定された内容になり、また女性アナウンサーが「これから新幹線に乗るのに不安がありますね」と話し、対策としての手荷物検査の話しまで出ていました。


一方、NHKは1時の時点では、警察でも情報収集が錯綜していること、国土交通省の「まだよくわからない」「2カ所に一人ずつ倒れている」という発表を放送していました。


たぶん、ニュースを聞いている人の知りたい気持ちに応えているのは民放だろうと思います。
「男が油をかぶって焼身自殺を図った」「離れて倒れている女性は誰か。そしてどういう関係か」「同じ車両にはどんな人たちが乗っていたのか」「焼身自殺の原因は何か」、など知りたいことは次々とでてくるのが人の気持ちというものでしょうから。


でも私は、粛々と「わかっていること」「わかっていないこと」を放送していたNHKのニュースをむしろ信頼できると感じました。
そしてあの東日本大震災の直後から、ただただNHKの報道を追いかけていた記憶が蘇りました。


この新幹線内での焼身自殺という状況も、想定外のことです。
まだうっすらと白煙が見えて新幹線が緊急停車している状況は一体どうしたのか、ほとんどの人の理解を越えていたのではないかと思います。



そういう状況では、大きな不安に突き動かされて、次から次へと対応策を求めやすいのかもしれません。
まだ状況さえわかっていない0時半の段階で、「新幹線の手荷物検査」にまで話題が広がってしまったのはそんな気持ちがあるのではないかと思います。
対応策なんて、事故の全貌がわかってからでないとたてられないはずですが。



「わからない状況に耐えられない」と、あれこれとあらたに「事実が作り出されてしまう」ことを目の当たりにした報道でした。



「事実」という言葉を調べてみると、大辞林第3版(コトバンク)にこんなことが書かれていました。

そのような物ごと・状況が確かに存在すると判断するさま。

そうですよね。
「事実」なんて厳然としたものはなくて、必ず人の気持ちや認知というフィルターを通したものになるわけですものね。



事実とは何か。不定期ですが続けて考えてみようと思いつきました。




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