事実とは何か 81 「10年、15年早く実現していたかもしれない」

もし、今どこかで新たな新幹線駅の途中駅の新設工事があったら、どうやって造られるのか見に行きたいものです。

 

1年前に紹介した「続・秘蔵カラー写真で味わう 60年前の東京・日本」という写真集は、2018年にその「秘蔵カラー写真で味わう 60年前の東京・日本」が出版されています。

 

その中の「新幹線のテストラン」に、新幹線の試運転をみる人が「鈴なり」に集まった写真がありました。「続」編の鴨宮の写真は新幹線の姿だけを公開した時の写真ですが、こちらは走行する様子を公開したもののようです。

 静岡駅で試験走行を見る人々(静岡県静岡市

1964年7月 開業前に初めて民間人を招待して行われた試験走行に私も紹介されたされたので、カリフォルニアから来ていた友人と妻とともに豊橋まで乗って行った。当時はまだ線路が安定していないということで、国鉄も非常に慎重で、東京ー新大阪間に16時間ぐらいかかったから、在来線の方が早いくらいだった。しかし、そうやって安全を確認しながら、徐々に走行スピードをあげ、最終的には、当初新大阪まで4時間の予定をさらに1時間短縮して3時間での走行が実現したのだ。

この民間人を乗せた試験走行の時、静岡駅の東海道線の上を渡る橋のさらに上に新設された線路を新幹線が走った。どこかで情報を聞きつけた地元の人たちが、夢の高速列車・新幹線をひとめ見ようと、橋の上に鈴なりになっていたのはとても印象的だった。(p.107)

 

そりゃあ見に行きたくなるだろうなと思いますね。

それにしても、最初の試験走行が「東京ー大阪間16時間」だったとは。

その後、慎重にスピードをあげて行きながら、夢の超特急を実現したと書かれていました。

 

別の写真のキャプションにはこう書かれています。

ところで、新幹線は世界初の高速鉄道だった。それまで、他のどこにもそんなものは存在しなかったのだ。

 

 

*「もし戦争が起きていなければ」*

 

その「テストラン」の最後に、著者がこう締めくくっていました。

太平洋戦争の前、日本では、東京から下関までの高速鉄道の計画があったという。戦争によって中止になったその計画が、時を経て、当初の計画を上回る形でついに実現したのだ。そのため、初めて新幹線を見たときには、とても感慨深いものがあった。そしてアメリカからきた私にとっては、それが戦勝国アメリカではなく、この日本で現実のものとなったことにも非常に深い感慨を覚えた。もし、戦争が起きていなければ、新幹線は10年、15年早く実現していたかもしれない。

 

たしかに新幹線の歴史に書かれている「弾丸列車計画」は耳にしたことがあります。

 

あの戦争では、日本軍の戦車の装甲は薄く、能力も劣る上、学校では自決の方法を教えとか、戦場での食糧調達は兵士に任されていたという状況に対して、圧倒的な技術・経済力の差と栄養だけでなく嗜好品も詰めたコンバット・レーションの発想があるアメリカに、なんだか丸腰で戦っていたイメージがあります。

戦後も、アメリカのホームドラマの中の豊かさに圧倒され、GPSとか宇宙開発とか圧倒されることばかりでした。

 

そんな時代に、アメリカに追いつけという感じで新幹線の開発も始まったのかと今まで思い込んでいました。

 

たしかに、最近、あちこちの鉄道に乗る機会が増えて、明治時代から、日本の津々浦々にこれだけの路線を整備してきた技術はすごいものがあり、新幹線は太平洋戦争よりはるか前からの、その延長上だったのかもしれないと思えてきました。

 

そして、当時、一個人の感想ではありますが、新幹線をこのように見ていたアメリカの方の当時の生活を垣間見るような記録が残っているからこそ、また違う「事実」が見えてきました。

 

 

 

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