帝王切開と経膣分娩の明らかに違う点が、産道を通過したかしないかの違いであり、それは多くの人が漠然と理解していることではないかと思います。
この「産道を通る」ということは、具体的にどういうことなのでしょうか。
こちらの資料に書かれているように、産道とは「骨盤とその関節からなる骨産道」と「子宮、子宮勁管、膣の軟部組織からなる軟産道」のことです。
骨盤自体が小さい、あるいは相対的に赤ちゃんの頭の方が大きいと骨盤内を降りてくることができずに分娩停止になります。
あるいは臍帯が首や体に巻いていたり、臍帯自体が短くて、この産道を降りてくるのに十分な長さがないと、途中で胎児心拍がガタガタと下がったり赤ちゃんも降りてこなくて分娩停止になります。
また、その資料に胎児の第一回旋から第四回旋の図がありますが、胎児は絶妙ともいえる動きをしながら、頭の最小周囲径で産道を通過しようとします。
この時に、少しでも頭の向きが悪いとつかえてしまってそれ以上進めなくなってしまいます。
産道を通過するのが難しいのではないか、産道を通過させれば赤ちゃんへの負担が大きすぎるのではないか、そのあたりを見極めて予定帝王切開あるいは緊急帝王切開が行われます。
なんとか順調に骨盤内を下がって来ても、「骨盤狭面」あたりにさしかかったところから、陣痛のたびに赤ちゃんの胎児心拍がひどくさがり始めます。一番狭いところを頭の大きな部分が通過してしまえば落ち着くこともあるのですが、なかなか回復しない状況が続けば相当ストレスがかかることが予想できるので、吸引分娩や鉗子分娩で産道を一気に通過させる手伝いが必要になります。
このあたりまで来て胎児心拍が下がり続けたり、あるいはなかなか産道を降りてこない場合には「産む力がある」「生まれる力がある」なんて悠長なことは言っていられません。
ここで時間をかけすぎると、陣痛のたびにストレスにさらされている胎児に回復する余力がなくなってしまい、生まれてから呼吸を始めることもできないほどぐったりとしてしまうからです。
いずれにしても、分娩が始まる前から「絶対に経膣分娩は無理」という判断はなかなか難しいものです。
こんな内診所見では経膣分娩は無理かなと思って、いつでも帝王切開に切り替えられるようにしていたら無事に終わることも経験します。
反対に、吸引分娩でいけるのではないかいうところまで下がっているので吸引分娩を何度か試してもダメで、「赤ちゃんが元気なうちに」と緊急帝王切開に切り替えることもあります。
あるいは胎児心拍のパターンを見て、「こんな早い時期からこれだけの徐脈が出るからおそらく帝王切開の方が安全だろう」といった予測というか勘のようなものもあります。
人間がこの母体に対して大きい胎児として育ったが故に、大きな頭で狭い骨産道を通過しなければ世の中に出られない最後の難関とも言えるのかもしれません。
確かに帝王切開の赤ちゃんは「産道を通ってはこない」のですが、産道を通過させることによる生命へのリスクを防ぐために、「バイパスを通ってもらった」という感じでしょうか。
半世紀前までは、この産道を通過する際に帝王切開という選択が多くの場合できなくて、胎児のまま亡くなったり、なんとか世の中に出ても生後一週間ぐらいで亡くなった赤ちゃんがたくさんいたことでしょう。
一人目はあきらめる。
そして経産婦さんになると同じ骨盤の大きさでも、軟産道が柔らかくなるのか初産の赤ちゃんよりも大きい赤ちゃんでも一気に通過してきます。
そういえば、「自然なお産」の流れに関心を持ってからは、ネット上でいろいろな助産師の発言を知る機会がありましたが、一人目が死産になったお母さんに「産道をつくってもらったのだから」と慰めている話がありました。
私より一世代ぐらい上の助産師だったと記憶しています。
その時には、私にはないその感覚に愕然としたのですが、もしかすると一世代違うだけでもそういう感覚はまだ社会にあったのかもしれません。
「産道をとおる」
胎児から新生児へ、生死がかかるこの段階をどうするか。
途方もなくたくさんの人たちの悲しみや悔いから、日本では帝王切開がいつでも行える時代になったのだろうと思います。