事実とは何か 32 <救命時の特殊な時間の感覚>

先日の踏切事故で、救助しようとした方が何秒でどのような行動をしていたかが報道されていたことから考えたことの続きです。


ネット上では「救助を美談にするのではなく、非常ボタンを押す事の啓蒙を」という意見がありました。
それはそれで、もっともな感じ方だと思うのですが、心臓が口から飛び出そうな非常事態に遭遇した時の特殊ともいえる時間の感覚について考えると、なんだかしっくりとこないのです。


こちらの心臓も止まりそうなほどの過緊張になる非常事態を、実際に人はどれくらいの確率で体験するのかわかりませんが、一生のうちに交通事故に遭遇する確率よりも低いのか、それとも高いのでしょうか。
いずれにしても、そう経験することではないのではないかと思います。


その点、医療現場にいると急変を経験するので、少し似た感覚なのではないかと思います。


不思議な感覚なのですが、急変時や蘇生などをしている時というのは、わずか10秒とか30秒がすごく長く感じます。
なんだかスローモーションビデオの中にいるような感覚です。


たとえば、産婦さんの出血が止まらなくてプレショックを起こしている状態や、生まれた直後の新生児がぐったりしていてすぐに新生児蘇生をし始める時などです。


相手の状態を観察して、「緊急時の処置をしなければ」「蘇生をしなければ」と判断した時には、わずか数秒でもさまざまな判断と処置を同時に実施し始めています。
状態が落ち着いて、時間を確認するとまだ1分ほどしかたっていないということもあって、その間の自分の判断や動きが、スローモーションビデオのように思い出されてくるのです。


咄嗟の時には、なにかいつもとは違う時間の長さのような感覚になるのはどうしてなのだろうと、いつも不思議に感じていました。
普段の感覚なら30秒とか1分なんて、たいしたことをしないまま過ぎていく感覚なのですけれど、目の前の人を助けなければいけないという事態では、全身全霊で時間の質が変わってしまうような、そんな錯覚です。


たぶん、頭の中では「非常ボタンを」とわかっていても、非常ボタンに向かうそのわずか数秒の間でも、救命のためにもっと多くのことをできそうな感覚に陥るのかもしれないと。


救命しようとした方が巻き込まれる二次災害を防ぐためには、そのあたりの感覚がヒントになるのではないかと、ふと思ったのでした。




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