行間を読む 102 一世紀というのは近すぎて混沌としている

「会食」と聞くとなんだかとても古臭い昔の政治の話に感じると書いたのですが、世代間の違いという話でもないし、と行きつ戻りつ考えていました。

 

また、その発言をした政治家をほとんど知らなかったのですが、医師のモラル低下と発言した方だったこととつながりました。

 2008年9月22日晩から23日明け方にかけて東京都の妊婦の容体が急変し、受け入れ先が見つからなかった事件に関連して、経済産業大臣として「政治の立場で申し上げるなら、何よりも医者のモラルの問題だと思いますよ。忙しいだの、人が足りないだのというのはいいわけにすぎない。

 

今これを読んでも怒りは不思議となく、とにかく当時の胃の痛さが蘇ってきます。 

 

周産期の現場では1990年代に新生児の救命率が上がって、今度は妊産婦の救命率を上げるためのシステムへと時代が移っていた時期でした。

2000年代に入った頃はまだ、母体・新生児の高次病院への緊急搬送は医師が何か所もの病院に直接連絡をして搬送先が決まる状況でしたが、その後は都内の周産期医療ネットワークシステムが整備されました。

 

それまでの医師やスタッフがモラルが低くて対応していなかったわけではなく、医療が急激に高度化し、一生に一度遭遇するかどうかぐらいの確率で起こる稀なことにも備え、救命するシステムを目指してきた歴史の延長上にあったのだと思います。

 

今思えば、医療が驚異的に変化する真っ只中の時代だったと言えるかもしれません。

 

冒頭の発言当時、69歳でいらっしゃったようなので、私よりもはるかに昔の医療資源も乏しい時代をご存知だったのではないかと思うのですが。

 

 

周産期母子医療センターを設立し、もともと先進諸国中、最も低かった周産期死亡率と新生児死亡率はさらに改善し、現在でも世界のトップを独走しています。このこととは対象的に、妊産婦死亡率の減少は緩慢でした。「周産期母子医療センター構想」は、低出生体重児をはじめとする病的新生児の医療には効果的であったのですが、母体安全に関してはウイークポイントをもっていたのです。

 このことが露呈したのが、2006(平成18)年の奈良県町立大淀病院と、その2年後2008(平成20)年に起こった都立墨東病院での妊娠中の脳出血例による妊産婦死亡でした。母体に起こった一般救急症に直ちに対応ができなかったことは、完備されたと思われていた周産期医療システムのウイークポイントをついた出来事だったのです。

(「日本の妊産婦を救うために2015年」巻頭言より)

 

当時は産科崩壊と言われる時代に、さらに超緊急にも完全を求められ、そして満足のいくお産まで求められた時代で、ほんと、思い出すだけで胃が痛くなりますね。

まあ、今もあまり変わらないのですけれど。

 

同じ時間を生きているようでもこの医療の変化が見えていなかったのか、 それとも「一世紀というのは近すぎて混沌としている長さ」なのでしょうか。

 

 

*追記*

2008年当時の周産期医療の状況を思いだす辻褄の合う話という記事がありました。

やはり、記録は大事ですね。

 

 

 

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