シュールな光景 8 <虚の世界>

時に、「人はなぜ生きているのだろう」と足元をすくわれそうな感想になるニュースがあります。
哲学的な問いというよりも、「虚を衝かれる」「不意打ちをくらう」といった感じ。


ということで、今日のタイトルは「うそのせかい」ではなくて「きょのせかい」です。


先日の、中学生が友人宅から1000万円を盗んだというニュースもそのひとつです。
ニュースの傍観者の私でさえ、今までに聞いたことのないような出来事を頭の中で整理するのに時間がかかっているのですから、その中学生の周囲の方々は相当混乱しているのではないかと想像しています。


最初にそのニュースを聞いた時の印象が、「何だか現実感を感じないのは何故だろう」ということでした。


たとえば数百円程度の万引きとか無銭飲食でも罪を犯すことへの恐怖心が人ごととは思えないですし、生活費を得る手段を犯罪に頼ってしまうその人の人生はどうなるのだろうというような心配があります。
どんなものでも他人の物を盗んではいけないという、当たり前としてきた規範を破る時の怖さを盗難事件ではいつも感じます。


ところが、このニュースを聞いた時には、なんだか倫理とか法律とかが通用しない別世界の話を聞いているかのようでした。


現実感を感じなかったもうひとつの理由は、「居間に1000万円が置いてある家」なのだろうと思います。
1000万円を貯めるためには、どれだけ労働しなければいけないのか。
お金があって羨ましいよりは、何か虚しさを感じる虚像の世界を見てしまったような気がしました。


「虚をつかれる」を調べると、Weblioでも「油断していて隙をつかれる、と言う意味。自分が行う場合『虚を衝く』」ぐらいの簡単な説明しかありませんでした。
以前、「虚をつかれる」を書いた時には私が無知であったという意味で使ったのですが、今回は「油断していたのかもしれない」というニュアンスです。


自分の労働の対価に見合った「身の丈にあった生活」とは違う生活形態の人たちが増えたのではないか、90年代頃から漠然と感じていたあの意識のバブルがこんな形になったのではないか、そのあたりの変化に私自身が油断していたのではないかというあたりで、虚を衝かれたニュースだったのかもしれません。




「シュールな光景」まとめはこちら