記録のあれこれ  29 「素晴らしい熊野の自然」

幼稚園から高校まで過ごした地域を離れてからは、40代後半になって両親の生活を見守るために頻繁に行くようになるまで、その地域にはほとんど行くこともありませんでした。

湧き水や清流の原風景とも言える場所なのですが、故郷と思うほどでもない場所でした。

 

それがここ十数年、何度も行き来するうちに、こんなところだったのかと驚くことも増えました。

そのひとつが、私が遊んでいた秘密基地のあった裏山にはニホンカモシカが棲息していたことです。

子どもの頃には聞いたこともありませんでした。なぜ知ったかというと、両親とドライブするようになって、「カモシカ注意」の道路標識を見かけたからです。この標識も子どもの頃、1960年代とか70年代には見た記憶がありません。

「え?カモシカがいるの?」と聞いたら、母は知っていたようで「昔からいたわよ」と言われました。

天然記念物のカエルは身近でしたが、裏山で見たのは沢蟹とへびぐらいでした。

 

*自分が住んでいる地域について教わる機会がほとんどなかった時代*

 

紀伊半島を回ってであった本ですが、感動したのは熊野誌だけではありませんでした。

浮島の森で購入した「すばらしい熊野の自然 ー見所と観察の手引きー」もありました。

熊野自然保護連絡協議会が1999年(平成11)年に出版したものですが、1986年に発足した会の10周年記念として出版が計画されたようです。

 

最初に「熊野の自然の概要」が書かれていて、地形、地層、気候、生物相などの特徴がまとめられています。そして、各地域の特徴がまとめられていました。

たとえば、最初に枯木灘海岸について書かれています。

新宮市出身の芥川賞作家、中上健次の小説のタイトルにもなった枯木灘。潮岬から西へ、白浜に至る約65kmのこの海岸一帯は台風の通り道で波風が強く、海岸に迫り来る山々の木々には塩害で枯死したものが多く見られるところから熊野枯枯木灘海岸と名付けられ、その中心に位置するすさみ町は荒ぶる海からその名が付けられたといわれている。

九州の都井岬、四国の足摺岬室戸岬を経て紀伊半島の潮岬に突き当たった黒潮主軸は、反時計周りに紀伊水道に向かって枯木灘海岸を北上する紀南分岐流を生じさせる。その紀南分岐流が最初に打ち当たる場所がすさみ町 の江須崎である。

そして江須崎周辺の植物、昆虫、魚やさんごなどについての説明が続いています。

 

 ああ、すごい。

この地域の小学生は、こんなに学問的な言葉で自分が住んでいる場所を知ることができるのだ。

 

そして自ら観察するための手引きに数十ページが当てられていました。

水辺(湿地)の植物、海辺の植物、キノコ、磯のいきもの、昆虫、鳥、そして地質まで、どのように準備し、何を観察し、何に注意するか、おそらく小学生にもわかるように書かれています。

 

うらやましいかぎりですが、きっとこれも環境という言葉を学ぶようになったのが90年代前後であったように、そして「環境」という言葉がまだ浸透していなかった私たち世代は四日市の公害の映画を小学生の時に見て学んだように、社会に知識が浸透するためには時間差があるのだということかもしれません。

 

その地域の自然を観察し、記録し続けている人たちによって、こうした地に足ついた教育が引き継がれていくことでしょう。

20年後、30年後の小学生は何を学んでいるでしょうか。

 

 

「記録のあれこれ」まとめはこちら