10年ひとむかし 47 木材

母のところへ面会へ行く途中に、大きな材木屋さんがあります。私がその地域に引っ越した頃、半世紀以上前からずっとあります。広い敷地の倉庫に、見上げるような木材が立て掛けてあって、その前を通ると、深呼吸をして木の香りを吸い込むのでした。

たしか私が高校生の頃には、県道を挟んで反対側にもうひとつ大きな倉庫がありました。

いつの間にかそこは更地になり、スーパーや住宅街へと変わっていました。

残っているもう一方の材木置き場は、子どもの頃からと同じ大きさで、それなりに活気があるように見えました。

 

先日、前を通ったら、そこがすっかり更地になっていました。

駅に近い場所なので、どこかへ移転したのかもしれません。

 

ただ、子どもの頃にはその材木屋さんだけでなく、私が中学生の頃に火事になった製材所のように住宅街にもまだあったのですが、最近はほんとうに見かけなくなりました。

 

家を建てるにに木を使わなくなったのかというと、建築中の場所をみるとまだまだ木造建築が多いですし、材木屋さん(正式名称はなんでしょうか)は需要がありそうなのですが。

 

*新宮の木造の体育館*

 

2月に杉・檜の名産地である南紀を回った時に、新宮の神倉神社の近くの小学校のそばを通りました。

小学校の周囲が杉か檜の板でできた囲いが続いていて、木でできたフェンスが周囲の山と遊歩道と風景の一部になっていて、とてもすてきでした。おそらく、災害の記憶が受け継がれている地域なので、木材を利用するのにも防災の視点があるのではないかと想像しました。

さすが林業の盛んな地域だと、ふと、小学校の中を見てさらに驚きました。

校舎はふつうのコンクリート製なのですが、がっしりと大きな体育館が、濃い焦げ茶色の木材で組み立てられていました。

 

1960年代後半に私が通った山の中にある小学校は、今ではナニコレ珍百景に出てきそうな木造の平屋建ての校舎でした。

長い廊下はもちろん木の床で、児童が一年に一回はたわしで床を磨き、ワックスを塗ってピカピカにしていました。

6年生のときに街の中の小学校に転校したときには、「憧れの3階建ての鉄筋コンクリートの校舎」でした。しかも屋外プールもありました。

あの頃、これからの時代は木材では大きな建物は造れない、コンクリートの時代だと子ども心に思ったのかもしれません。

 

半世紀たって、あちこち散歩をしていると、木で造られた古い建物がさらに年月を重ねて存在感を強めています。

それだけでなく、駅舎とかベンチに積極的に木を取り入れて、よそとは違う魅力を感じさせる場所もあります。

 

ああ、やはり反動から反動へというのは半世紀ぐらいなのかもしれない。

木材に対しても、そんなことを感じるこの頃です。

 

 

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