気持ちの問題 58 郷土愛

なかなか撮り溜めしたビデオを観る時間がなくて、先日ようやくブラタモリの熊野の後編を観ました。

その中で、熊野本宮大社旧社地「大斎原(おおゆのはら)」の説明がありました。

1899年(明治22年)の大洪水で河原に近い場所にあった本殿が流されたために、現在の熊野本宮大社は高台に移されたそうですが、現在も大きな鳥居があり広々とした河原は神が舞い降りる場所として守られているそうです。

 

熊野川中流域にどうしてこれだけ広い河原があるのか、たしかに地図で見ても下流から河口のある新宮や紀宝町のあたりの方が狭い流れになっています。

2月に熊野川河口を歩いた時にも、河口からすぐの場所が大きく蛇行し狭い流れになっていましたから、これも水害の多い理由なのかと思えました。

ただ、上流も同じように狭い川だと思っていました。

 

番組の中では、新宮や紀宝町あたりの下流部は流紋岩で硬いので侵食されにくく、中流域は柔らかいために河原が広がったこと、そして「今は影も形も無いけれど火山は火山」とその地質や地形が作られていった経緯が説明されていました。

なるほどと思うと同時に、一層、その地域への懐かしさのような感情が湧き上がったのでした。

 

熊野川を訪ねた時に、熊野誌 「素晴らしい熊野の自然」といったその地域の自然史が観察され記録されていたことがとても印象に残りました。

 

そして熊野以外でもあちこちを散歩していると、その地域の史跡の説明が整備されていたり歴史資料館や郷土資料館を観ると、ああなんと落ち着いた街なのだろうと感じるのです。

 

「町おこし」がイベント的なものを指しやすいのですが、こういう地道に自分の住んでいる地域を知ることで誇りになり、一世紀後とか何世紀後かにつながっていくのかもしれないと思えるのです。

ブラタモリはそうした落ち着いた郷土愛とでも言える気持ちを、その地域の人たちに思い起こさせる番組かもしれませんね。

 

 

 

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