水の神様を訪ねる 19 岩戸川と喜多見氷川神社

地図で実篤公園と入間川を眺めていたら、野川と入間川の昭和の流路変更の歴史もたどることになりました。

そしてさらに喜多見駅から南の方に3か所の遊歩道を見つけて、8月は連日のように野川の近くを歩きました。

 

*かつての野川*

 

喜多見駅の南に、世田谷通りから野川に向けて滝下橋緑道が描かれています。

また野川から少し離れた場所に氷川神社があり、そのすぐそばに岩戸川緑地公園があり、八幡神社の方向へ緑道らしき場所があります。

そしてもうひとつ、狛江駅の方から清水川公園のそばを通って岩戸川緑地公園に平行するような緑道が描かれています。この水源は泉龍寺弁財天池かもしれません。

 

ぐるりとその辺りを訪ねてみようと出かけました。

喜多見駅の南側を歩くのは初めてです。商店街を抜け、世田谷通りに出ると、滝下橋緑道の入り口がありました。新しく整備された緑道のようです。周囲にはまだまだ大きな木が残されていて、その間を蛇行した道が続いています。

この緑道はあっという間に終わり、野川の遊歩道沿いをしばらく歩くと次太夫堀公園民家園へと出ます。

 

周囲に畑が残り、大きな木が茂った森が残されていて、70年代80年代の世田谷の風景がそのままという場所です。

畑の向こうに大きな鎮守の森が見え、そこが2年前に二子玉川周辺の3か所の氷川神社を訪ねようと思いつつあきらめた喜多見氷川神社です。向かいにある慶元寺の竹林と、氷川神社の鎮守の森が、別世界のような静寂の場所でした。

 

この氷川神社と慶元寺の間の緩やかな坂道を降りると、そこに岩戸川緑道がありました。

この高低差で、そこにかつて小さな流れがあったことがわかりました。

 

岩戸川緑道を道なりに歩くと、八幡神社の前の岩戸児童センターの手前あたりから地図には描かれていない水路が整備されて、水が流れていました。

幻の岩戸川を想像しながら、計画ではもうひとつの幻の清水川沿いに歩いて狛江駅に出る予定でしたが、暑かったのでここから喜多見駅へと戻りました。

 

*六郷用水と流路変更*

 

野川を読むと、この日歩いた場所は「六郷用水開削による流路変更」のあたりだったようです。

かつての野川は、小金橋あたりから野川緑地公園に近い流路で現在の狛江市中心部を流れ、そのまま南流し岩戸川(現在の岩戸川緑地公園)及び町田川に接続し、宇奈根付近で多摩川に注いでいた。

1597年(慶長2年)から15年かけて六郷用水(次太夫堀)が開削された。これに伴い世田谷通りと滝下橋緑道を流れ、入間川と合流するようになった。次太夫堀公園を流れた後用水から分流し現在の野川下流に近い流路を通っていた。

 

小さな流れを集め、野川からさらに大田区までの農地を潤す六郷用水を築いたことに圧倒されます。

 

ところで喜多見氷川神社の説明を読むと、「多摩川洪水のため古縁起・古文書など流出して詳細は明らかではない。古く多摩川岸に近いところにあったという」とありました。

川の流れひとつとっても歴史を追うのは容易ではないことですね。

 

 

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