つじつまのあれこれ 25 どれだけの人口が日本の国土のどこに住むか

川の流れひとつ、あるいは水田のでき方ひとつをとっても、「日本の」と一言ではまとめられないほどそれぞれの長い歴史があることが、実際にその地域を歩くことでなんとなく見えてきました。

 

そんな時に、「インフラの維持管理 コスト削減図る自治体 優先的に支援を」(2020年10月19日、NHK NEWS WEB)を読みました。

かつての私なら、漠然とした内容が理解できずに読み飛ばしていたようなニュースです。

 

国の財政問題を話し合う「財政制度等審議会」が開かれ、財務省は老朽化が進むインフラの維持管理にかかる支出を抑えるため、最新の技術を活用してコストの削減を図る自治体を優先的に支援すべきだと提言しました。

19日の財政制度審議会では、インフラの維持管理や水害対策などがテーマとして取り上げられました。

財務省は、国民1人当たりが負担するインフラの維持管理コストは、人口減少とインフラの老朽化で、およそ、30年後には最大で3倍を越える可能性もあるという見通しを示しました。 

こうした状況を受けて、財務省は最新の技術を活用してインフラの維持管理にかかるコストの削減を図る自治体を、優先的に支援すべきだなどと提言しました。

このほか財務省は、洪水浸水想定区域に住む人が増えているとしたうえで、水害が想定される地域に住宅の建築規制などを導入してリスクを軽減できれば、防災や減災にかかるコストを抑えられると指摘しました。

これらの提言に対して、出席した委員からは「人口減少を前提とした、インフラ整備を進めるべきだ」などといった意見が出されたということです。

今後、審議会ではこうしたテーマごとの議論も踏まえて、来年度予算案の編成に向けた提言を来月中に取りまとめるとしています。

 

 

まずは、無駄な公共事業はなくせというプロパガンダに取り込まれていた私自身を思い起こさせ、心が痛む記事でした。

30年前のそうした社会の雰囲気のツケが、今きているのですから。

 

そう「30年」とは、それほど将来を予測するには不確かな時間の長さでもあります。

「人口減少とインフラの老朽化で、およそ30年後には最大で3倍を超える可能性もある」

もし専門的な知識から予測したのであれば、その結果にも責任がありますね。30年後にこの責任を誰がとるのだろう。

 

私が小学生だった頃の人口が多すぎるという社会の不安感を、私はいまだにどこかに持ち続けています。

でも当時言われていた「資源が足りない日本で、たくさんの人口は養えない」「食糧不足になる」についてはまったく予測が外れ、飽食の時代になり、教育も受けられ、国民皆保険で医療も与えられ、そして出稼ぎをしなくてもそれぞれの地域で家を持つこともできるようになりました。

 

ところが、1970年代のその予測が外れたことは忘れられて、次に人口減少の不安をあおられる時代に入りました。

私には「手のひらを返したような」時代の変化に、政府のこうした予測への根強い不信感があります。

 

ただし、全国を歩いてみると、本当に崖のような場所にも治山治水の工事がなされ、国土の大半を占める急峻な山や川のそばのわずかな平地に住む人たちのための道路が整備され、緊急時にはすぐに救助にかけつける。

すごい国だと、心から思えるようになりました。

 

でも、政府の出すこうした予測は、なぜこんなにも現実の政策の良さをも崩してしまう内容になるのだろう。

たぶん、たぶんですけれど、小賢しい理想論だけの人たちの声が大きくなりやすいのではないかと。

事実に基づく問題解決の手法なら、必ず、反省・評価をもとにまた次の方法を考えるのに対して、理想論の人には反省という姿勢も、自分の言葉に対して責任をとることもあまりなさそうですからね。

 

 

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