行間を読む 121 「一色町のうなぎの歴史」

東海道新幹線から見る車窓の風景の変化にはいろいろとありますが、その中でも印象深いのが浜名湖周辺の養鰻池の減少です。

空き地や太陽発電のパネルが広がった風景が増えました。

 

たしか1990年代には、JR東海浜松工場あたりを過ぎると浜名湖までずっと池の風景だったような記憶です。

池には酸素を送る機械でしょうか、水を攪拌しているのが見えました。

あの頃はウナギが苦手だったので「鰻を食べたい!」という食欲からではなく、ここが気になったのは当時行き来していた東南アジアのある地域の海岸線に日本向けの海老の養殖場が造られていたことと重なったからでした。

 

その後、ちょっと高級なお店でウナギを食べる機会があり、その美味しさに食わず嫌いだったことがわかりました。毎年、日本中でウナギに狂喜乱舞するのはこの味だったのかとわかったのですが、その頃には絶滅の心配が出てきたのでした。

 

*「一色町のうなぎの歴史」*

 

さて、あの池に酸素を送る設備名はなんというのだろうと検索していたら、兼光グループという会社の愛知県一色町のうなぎの歴史について書かれたものを見つけました。

あの吉良吉田駅と碧南駅を結ぶ幻の名鉄線があればまわってみたいと思っていた地域で、地図で四角い水色の場所がいくつも描かれています。何の養殖だろうと気になっていたのでした。

 

愛知県の西尾市(旧一色町)は、三河湾に面した温暖な気候に恵まれ、古く明治37年頃から鰻の養殖が始められた。なお、平成23年4月1日に西尾市幡豆郡三町(一色町吉良町幡豆町)が合併した。今日のような大規模な養鰻の産地化が飛躍的に進んだ背景は、昭和36年から矢作古川の河川水を利用するための養鰻専用水道の整備と、昭和40年代後半からのビニールハウスによる加温養殖技術の導入によるものである。県内には西尾市(旧一色町、旧吉良町)を始め弥富市高浜市碧南市豊橋市田原市にも産地をもつ。県全体の鰻生産量は、昭和58年から平成9年までの間は連続で、平成11、12、21年にも日本一の生産量を誇っている。西尾市(旧一色町)は県内の7割以上を占めるとともに、平成21年の国内生産量22,404トンのうち6,250トンと3割を占めている。市町村単位では、第2位の鹿児島県の志布志町や第3位の同県大崎町を大きく引き離して、西尾市(旧一色町)が昭和58年から現在まで全国第1位の生産量を誇っている。

 

ここで養殖業が大発展するきっかけになったのは、意外にも伊勢湾台風です。伊勢湾、三河湾周辺の被害が特に甚大だったが、人と家屋以外にも低湿地の水田に壊滅的な打撃を及ぼした。一色町も、そうした地域の一つであり、これを機に町は水田事業からウナギ養殖へ基幹産業の転換を進める。たまたま近くに、古くからの養殖先進地があったことが、それを思いつかせ、また手本にもなったとされています。

 

昭和36年から整備が始まった全国的にも珍しい河川水を利用した「養鰻専用水道」のポンプ場の整備と各養殖池までの送水管約98kmの敷設と敷設替えを行った。養鰻専用水道の敷設が幡豆養鰻漁協と幡豆地中養殖漁協とで合意され、昭和36年に工事に着手した。

国、県、町の助成を得ながら養鰻水道設備の第1期として、昭和36~41年度には事業に約1億円で5ヶ所のポンプ場と送水管役35kmを整備した。続く第2期の昭和44~46年度には、事業費約6億6千万円で第1期に整備した5ヶ所のポンプ場を廃止し、新たに現在の古川送水ポンプ場と送水管約28kmを整備し、養鰻水道網がほぼ完成した。その後も送水管の敷設と老朽化に伴う敷設替えを行いながら、昭和50年度に送水ポンプ3台を全て更新、平成元年度にはポンプ場に自動制御設備、中央監視装置と送水管末端に圧力モニターを設置して養鰻水道の無人化を図り、維持管理費の大幅な削減と利用料金の据え置きを実現した。平成7年度に送水ポンプ1台をインバーター式に更新して送水圧力を安定化させ、送水管からの濾水を防ぐことで更に維持管理費を削減した。平成9年度に自動制御設備をこうしいし、平成14年度には自動制御装置の機能向上のための更新を行った。この「養鰻専用水道」は、矢作古川の清浄な河川水を養鰻用水として利用することで、鰻が本来生息している天然河川により近い環境で育てることができるようになり、各養鰻業者の養殖技術の均一化と鰻の品質向上に多大な効果をもたらすこととなった。また、養鰻水道を通じて、すべての養鰻業者が繋がることで団結心が育まれ、一致団結して対処するという気風もうまれ、養鰻水道が精神的な柱になるという副次的な効果も出ている。養鰻水道の用水は元来農業用水の余剰水を利用していることから、降雨が少ない年や時期には、用水の確保が課題となっていた。養鰻経営の安定化のためには、この課題の解決が重要と考え、平成12年4月に「養魚用水の水利使用」が愛知県知事から許可された。

 

浜名湖周辺の養鰻池の風景が減ったのは輸入が増えたからかと思っていたのですが、主力の生産地が変化していたこともあったのですね。

 

30年ほど前はまだ私自身が正義感に溢れていた年代だったこともあり、こういう文章を読んでも頭に入ってこなかったのですが、最近は自分の年表とつながってきて「ああ、そういう時代だったのだ」と興味深いものです。

 

そして、「養鰻水道」「濾水」とか、また知らない水の世界が広がりました。

 

 

 

 

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