10年ひとむかし  76 「会食」は古い政治の言葉

新聞を読まなくなって久しいのですが、そういえば購読していた1990年代頃までの記憶では、一面の下に小さく「首相の動静」があって、「赤坂で誰それと会合」だったかそんな記録が書かれていましたね。

テレビでは、黒塗りの高級車がずらりと並んだ夜の街を映しだしていました。

 

それが政治の世界なのだと思い込んでいたというか、思い込まされていたのかもしれませんね。

大事な話は、国会議事堂ではなくあのような感じで決まる、と。

 

*「会食」とは*

 

「会食」とは日常的な言葉なのかと書いたのですが、久住昌之氏が「『俺の食に密はない』孤独のグルメ、あなたが五郎なら・・・」(朝日新聞アピタル、2021年1月20日)の中で、「会食」は政治家の言葉だとバッサリ書かれているのを見つけました。

「『会食』って、政治家の言い方ですよね。ふつうの人は、打ち合わせをかねた食事会なんてほとんどしないでしょう。『夜の街』というのも変な言い方だったけど、雑に悪者をつくっている、という感じがします。 

 

そうそう「会食」とともに、昨年3月ごろから毎日のように耳にするようになった「夜の街」への違和感の理由は、それは政治家の世界のイメージだったからですね。

しかも、半世紀以上も前、私が子どもの頃からの政治の世界のような。

 

 

*「我々はどこの会合で何を食って来たか、全然覚えていない」*

 

そうか、「会食」とはこういうことなのかと、さらに知ることになったのが「会食批判はアホらしい」の記事(FRIDAY、1月25日)でした。

メシを食った、どこで食った、アホらしいね。我々はどこの会合で何を食ったか、全然覚えていないわな。食事は合いの手っちゅうか、そこにあるから時間つぶしになるわけで、そんなもんがあろうがなかろうが話の場をつなぐ。世の中ではその食事にこそ関心がある。話の内容にこそ、真がある。 

 

非常時には最初の基本的な知識が肝心で、「感染症の基本的な知識を特に政治家の皆さんに徹底させることは大事で、そうでなければ次々とつじつまの合わないことに対応しなければならなくなる」と書いたのですが、「食べる」という生活の一つでさえこんなにも感覚が違うのですから、非常時にそれを変えるのは難しそうですね。

 

「会食」と聞くと、なんだかとても古臭い昔の政治の話に聞こえてしまうのですが、そうでもない人がまだまだいるのでしょうかね。

 

非常時というのは、底に沈んでいた澱のようなものが浮かび上がってきて政治が面白いですね。

 

 

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