散歩の途中で食事をすることも、ぼちぼちと復活してきました。
ただし人が少ない時間と、しゃべっている人がいない店が大事です。
客が私だけだったらラッキーと思って、安心して入ります。
6月の遠出では、ここなら大丈夫そうと思って入ったら次々とお客さんが入ってきて、しかも昼間にビールを飲んで盛り上がり始めて、ちょっと冷や汗をかいたことがありました。
こうなるとマスクなんて忘れて、皆さん大きな声でしゃべりますからね。
「マスクを外したら喋らない」が徹底されれば、かなり飲食店もお店を続けていけるのではないかと思うのですが、1年以上経っても喋る時にはつばが飛ぶのを防ぐというもっとも基本的な対策のひとつが、大人の世界ではここまで理解されないのは何が理由なのでしょうかね。
電車の中での大きな声での会話もまた復活してきました。
マスクをしているから大丈夫と思い込むのでしょうか。マスクをしていても飛沫はすき間から飛んで至近距離の人にかかることを、あえて想像しないようにしている人もいるのでしょうか。
「気の緩み」という漠然とした表現でなく、こうした行動がなぜ人に起こるのか。
そのあたりがうやむやになっているのは、心理学というのはなかなか検証しずらい分野だということでしょうか。
*プールではどうしたら良いか*
さてその「マスクを外したら喋らない」が給食の時に徹底されていると褒められていた子どもたちですが、プールになるとそんな意識はどこかに飛んでしまうようです。
夏休みになり、平日の空いていた時間帯に小学生が増えました。
数人ぐらいのグループできて、泳ぐというよりは水の中ではしゃいで遊んでいます。
楽しい時期ですよね、夏のプールは。
たくさんの子どもたちが大きな声ではしゃいでいることを、今年はどう考えたら良いのだろうかと思いながら、できるだけ近づかないようにしています。
ただでさえ泳ぐ機会やプールで遊ぶ機会が少なくなってきた子どもたちですから、夏の醍醐味を奪うのはかわいそうですしね。
でも昨年とは違って今年は子どもたちにも感染が広がっていますから、こんな至近距離でマスクなしにはしゃぐ機会はちょっと危ないのではないかと思うのですが、では、黙って水遊びは可能でしょうか。
連休後とはいえ、昨日の東京都の2848人という数字をみると、危険と大丈夫の差がうまく伝わらないのはなぜだろう、注意されたことをなぜあえてしようとするのか。
ヒトの行動はほんと不思議だなと思いますね。
大人でさえ、簡単なことがなかなか実行されていないのに、子どもたちにはうまく伝わるでしょうか。
プールではしゃぐ子どもたちのそばはできるだけ水に潜っていますが、大人はどんな行動を示したら良いのだろうと考えながら今年は泳いでいます。
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