午前中に児島湾干拓資料室と児島湾の干拓地を歩いただけでも、岡山平野の歴史に圧倒され、充実した時間でした。
藤田神社を出て、岡山駅行きのバスに乗った時には真っ青な夏空でしたが、駅に着く手前で突然土砂降りになりました。
陽が差してはいるので、すぐにやみそうな雨です。ちょうどお腹が空いたので、お昼ご飯を食べてから、次の目的地を訪ねることにしました。
予想通り雨はやみまた青空になりましたが、先ほどとはうってかわって湿度が高くなり、少し歩いただけでも汗が引かない暑さになりました。今回は気分と疲れ具合で決める行き当たりばったりの散歩ですが、やはり出かけてみようとローズレッド色の車体の津山線に乗りました。
岡山駅の次の法界院駅で下車し、目指すのは西川用水の取水口で、以前からその近くにある岡山市水道記念館も訪ねたかったのですが、残念ながら現在改築工事中でした。
旭川沿いに後楽園のあたりまで、途中市電に乗り、訪ねてみようという計画でした。
*西川用水に沿って歩く*
法界院駅で降りましたが、湿度の高い蒸し暑さです。
歩き出して数十メートルで無理そうとなり、200mほど東にある天許神社から西川用水沿いに歩き、一旦、旭川を越えて西川原駅から岡山へ戻り、そのまま宿泊予定の倉敷駅まで行くことにしました。
天許神社の少し手前から家のそばに水路が流れていました。西川用水からの分水でしょうか。
水路を見ると、なんだか元気が出てきました。
小高い場所まで石段があり、その上に神社があるようですが、「スズメバチ注意」とあったので登るのはやめました。
その石段の入り口に「神宮寺山古墳」の説明がありました。
神宮寺山古墳は全長約150メートル、後円部径約70メートル、高さ約13メートルの大型の前方後円墳である。旭川が運ぶ土砂によってできた平野にあり、墳丘は大部分が盛土によって築かれている。後円部三段、前方部二段の段築で、葺石(ふきいし)が施され、埴輪が建てられていた。
中心埋葬は天許(あまはかり)神社が建つ後円部の頂部にある。竪穴式石室のものとみられる蓋石が観察されるほか、さらに別の埋葬施設があった可能性も指摘されている。随伴して副葬品を入れるための小石室があり、鍬・鎌などの鉄製農具、斧・鋸・ヤリガンナ・ノミなどの工具、刀・剣などの武器といった大量の鉄製品が出土している。
西暦四世紀後半から五世紀初めに築かれた吉備地方を代表する古墳で、旭川下流の稔り豊かな平野を統治した大首長の墓と考えられる。
「あまはかり」神社と読むのですね。検索しても詳しいことは見つけられませんでした。
この天許神社から南へとゆったりと用水路が流れていました。
対岸の家からは、用水路に向けて階段があります。
新幹線の南側の車窓から、旭川を超えたすぐのところに西川緑道公園に続く用水路が見えるのですが、北側はこんな感じでまだ生活の中に残っていることがわかりました。
このあと旭川にかかる大きな橋を渡りました。
車の交通量の多い道ですが、その向こうに新幹線が並走しているので何本も山陽新幹線を見ることができ、暑かったのですがなんとか歩き切ることができました。
静かで、ヒューっとかすかに音がし始めると、その姿が現れます。
いつも岡山駅に到着する直前に旭川を渡る時にはワクワクしているのですが、実際に歩いて街の雰囲気を知ることができました。
西川原駅から赤穂線に乗ってまた旭川を越え、岡山駅で快速福山行きに乗り換えて、懐かしい倉敷に到着しました。
旭川、美しい川です。
またまたタイトルの壮大な計画をほとんど断念した初日でしたが、明日はあのローズレッドの津山線に乗って旭川の中流域の風景です。
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