遠出の散歩で楽しみのひとつは、その地域のローカルニュースや番組を観ることです。
倉敷のホテルで テレビを観ていたら、ちょうどNHK岡山局が真備町の復興について放送していました。
当時は「50年に一度」と言われていましたが、穏やかな気候の倉敷では100年に一度といえるのではないかと思われた平成30年7月豪雨(2018年)でした。
番組の中でも、水害といえば「昭和47年高梁川流域で大きな被害(1972年)」と「昭和57年の台風(1982年)」があったが、「晴れの国岡山」だというような話がありました。
すごいと思ったのは、真備町では国土交通省による復興ツアーが行われ、改修された場所などを住民に説明する機会があったことです。被災されたその地域の住民でもどこがどのように守られているのか、「知らなかった」ことが伝えられていました。
生活再建の大変な真っ只中だからこそ、そういう機会があると日頃恩恵を受けているインフラやその維持管理について知らなかったことが実感されるのかもしれません。
真備町よりもう少し中流側にある矢掛町は、小田川が蛇行している場所にあります。
昔宿場町だったこの地域では小田川の氾濫に悩まされ、水番所や水見やぐらがあったことが番組では紹介されていました。
過去から現在へ、言葉で表現することは難しい災害の記憶が伝えられている番組でした。
*「災害はつらいが、むしろ竹の節のようなもの」*
番組の中で、30代から40代ぐらいの方でしょうか、「災害はつらいけれど、むしろ竹の節のようなもの」とインタビューに答えていらっしゃいました。
その年代で50年に一度とか100年に一度をまったく実感できなかった私と比べて、どこからこの言葉が出てくるのだろうと驚きながらすぐにメモをしたのでした。
今の災害とも言える新型コロナウイルスの広がりも、ヒトの生活のあらゆる面があぶりだされ問い直される、まさに竹の節のようなものだと思えてきました。
その地域の災害の記録やその地域の経験が引き継がれているから、若い世代の方達からこうした言葉が出てくるのかもしれませんね。
それにしても、ふと思いついた計画を強行したのは、この番組を観なさいという啓示だったのかもしれません。
最近、偶然が神がかって感じるようになりました。
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