生活のあれこれ 3 ごみの捨て方をどのように習慣にしているのだろう

ここ数年、私の住む集合住宅の住人が入れ替わってきたのか、時々、ゴミ捨て場が大混乱になっていることがあります。

ゴミ捨て場はコンクリート製の小さな小屋で鍵がついていないので、誰でもいつでも捨てられるので、ここの住人だけではないのかもしれませんが。

 

毎年、ごみ・資源収集方法の区の冊子が各戸に配布されます。

可燃ごみ不燃ごみ・古紙・ペットボトル・びん・かん・プラスティック製品そして粗大ゴミ(有料)の分別方法と出せる日がわかりやすく載っています。

 

まず、可燃物・不燃物がゴミ袋の外からでもはっきりわかるほどゴチャ混ぜになったまま捨てられていることは以前からよくありました。

ガラスや陶器の割れたものがそのまま置かれていることもあります。

そして粗大ゴミはあらかじめ申し込みが必要で有料券を購入して、指定された日に出すことになっていますが、そのまま捨てられていることがあります。

このあたりはその収集方法をしっかり読まないか、読んでもめんどくさいからという感じでしょうか。

結局、いつの間にか管理会社か清掃局の方が処分してくださっているのか、片付いています。

 

かんや瓶はリサイクル用収集のための折りたたみ式の箱がありますが、最初にそれを誰かが広げない限り、そのままどんどんとそのあたりに放置されていくようになりました。

触りたくないかもしれないし、出勤前とかで急いでいるのかもしれないのですけれど。

ここ最近、ずっとそんな状態が続いています。

 

誰かが退去するときには一気にごみが出るのですが、先日は今までには思いもつかないような状況がありました。

袋に入れるわけでもなく、部屋からそのままいらないものをゴミ捨て場に「移動させた」かのように、むき出しに女性物の靴やらフライパンやらフォークやらが床に置かれていました。しかも、ごみ置き場の3分の1ぐらいのスペースが、同じ人が捨てたものであろう物で占拠されました。

よっぽど慌てて引っ越したのでしょうか。

それでもごみ置場に持ってくるのに袋に入れたほうが、早く運べそうですけれど。

 

それを誰かが後始末してくれていることに思い至らないのかなと、まず怒りの気持ちが沸いたのですが、しだいにここまでごみの捨て方の習慣が違うのもすごいと思うようになりました。

 

これもまた、物がなければごみもない時代から、高度経済成長期に入って日本の家庭にものが溢れ、さらにゴミの処分方法が驚異的に変化した時代の中での葛藤というか、混乱の一つかもしれませんね。

 

だから反動でできるだけ「物」に頼らない質素な生活を求める人も出てくるのでしょうか。

 

身の回りの物がどんどんと変化し、その捨て方の習慣もまた変化していく中で、他の人はどうやってその習慣を身につけていくのだろう。

案外と知らないと思うようになりました。

 

 

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