レジ袋をターゲットにしたエコ運動に胡散臭さを感じてしまういくつかの理由に、レジ袋は石油を精製する過程で出る物をうまく利用しているという情報もあったのですが、またいつの間にか化石燃料への否定的な雰囲気の中に大事な知識が埋もれていくような気がすることもひとつです。
そして、ついつい「もっと他にも問題があるでしょう?」と比較したくなるものがたくさんあるからです、私個人としては。
ひとつは混雑した電車内や歩きながら、あるいは商品を並べているお店の中でも飲みながら持って歩いている使い捨てカップです。
10年ぐらい前にはほとんどなかった光景が、当たり前になってしまいました。
先日は、動いている電車のロングシートに、冷たい飲み物が入ったカップをそのまま置いている人も見かけました。
表面には水滴がついていて座席も濡れてしまいますし、手を離しているので倒れればシートを汚すことでしょう。
新しい物が広がると、ちょっとびっくりな行動をする人が出ますね。
たとえストローやカップがプラスティックでなくても、上についている蓋はプラスティックですし、飲み終わったあのカップ類を皆さんどこに、どのように分別して捨てているのでしょう。
電車のシートの下やトイレの中に置きっ放しにされたり、女性用トイレの汚物入れに突っ込まれているカップです。
駅などからゴミ箱が撤去されたのは1990年代ごろでしょうか。
さらにこうした使い捨てのものが増えたこともあって、本来捨てる場所ではないところに置かれて、風に飛ばされたりして街の中や川や海へと行きついていくことも原因であって、プラスティック製品を使うことが悪なのではなく、その捨て方の問題のはずなのですけれど。
「どうしてこんなことをする人がいるのだろう」と日常生活でふつふつと怒りと不快感を感じる場面が増えた、この10年です。
ただ、「水辺はゴミや生活排水を処理する施設に近い感覚」で川にゴミや下水が捨てられ、東京の住宅街もゴミ都市と言われていた半世紀前、そして1980年代でさえまだ資源ごみとかリサイクルという言葉がなかったことを考えると、東京近郊も本当に水辺が綺麗になったので、ゴミをどう処理するかという認識も驚異的に変化する時代にいるのだと思い直して心を落ち着けるようにしています。
たまたま私自身がその変化の時代に生まれたのでゴミの捨て方を意識できて、改善されていく方法を選択できただけの話ですからね。
もう少し前の世代なら、習慣や発想を変えることは相当大変なこともあったでしょう。
だからこそ、CO2排出量削減とレジ袋の件はなんだかつじつまが合わないので、なんとなく納得がいかないという気持ちがくすぶっています。
人の現実の生活の歴史に基づいた政策でなければ納得できない、そんな感じ。
うまく言えないのですけれどね。
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