今回の散歩の計画の段階では、都立大学駅から呑川の暗渠を利用した遊歩道をずっと辿って東急大井町線緑ヶ丘駅まで歩き、さらに自由が丘まで呑川の支流を利用した遊歩道らしき場所があるのでそこを歩くつもりでした。
ところが地図で、その一帯を眺めながら桜森稲荷や碑文谷八幡宮を辿っていくうちに、清水窪湧水を見つけました。
パソコンのマップを最大限に拡大してやっと池のような場所が見つかるような、小さな水色がありました。
環七のそば、そして大岡山駅からもほど近い場所にこんな窪地に湧水があるなんて、ぜひとも見てみたいと思いました。
今は大岡山駅も地下にホームができてその上を利用して東急病院がありますが、1990年代にまだ商店街を少し行ったところに病院があった頃、その辺りを歩いたことがあります。
水がつくりだした地形にほとんど気づいていなかった頃で、大岡山駅の「岡」「山」の意味も知らずに、平坦な場所にある商店街だけが記憶に残っています。
*清水窪湧水を訪ねる*
碑文谷八幡宮から環七へとまた住宅街の中の上り坂を歩き、碑文谷病院の横に出ました。
交通量が多い環七ですが、この辺りは街路樹があり、ちょっとほっとするような広い歩道でした。
その先の交差点を渡り、大岡山駅へと続く路地を歩くと、「大岡山北口」と商店街の入り口がありました。
その少し手前を左に曲がると住宅の向こうに森が見え、下り坂になっています。
さらに「窪」に降りるために石段がありました。すでに水音が聞こえてきています。
思ったよりも大きな池があり、滝のように湧水が崖から流れていますが、都内の川の散歩の先人のブログの一つ、「川のプロムナード」を読むと今はポンプで循環させている水のようです。
湧水のそばに案内板がありました。
清水窪湧水
池の長さ約二〇メートル。池の小島の小さな祠には弁財天が祀られている。
この湧水は武蔵野台地の端、千束の谷がつきるところにあり、旧村落の頃、この付近一帯を清水窪と呼んだのも、この地形のためである。
ここから湧き出る水は洗足池の源流となり、かつて千束の谷が田畑であった頃、用水として水田を灌漑していた。
本区のみならず東京都内に残された数少ない湧水地として貴重である。
この辺りにも水田が広がっていたのはいつ頃までだったのでしょう。
1975年(昭和50)、都内の地価が上がり住宅地へと姿を変えるなか、こうした場所を教育委員会が遺し、記録にして伝えてくださったとは。
先見の明があるということは、こういうことなのだろうと思いました。
*清水窪弁財天*
清水窪弁財天の由来もありました。
この辨財天社は江戸時代初期の頃この地の所有者(北千束一の十四の八番地在住)岸田家先祖がこの地にこもる霊気を感じて祀られたものである。
当時はうっ蒼とした杉の森で昼でも天日を見ることができないくらい茂っていたそうだ。
この地に湧き出す清水は今日でもどんな干天になっても絶えることがない。
その昔は白蛇の姿を見たこともあるという。
霊気はものすごいまでに強く邪心を捨てて一心に念願すると不思議に叶えられるので遠近各地からの参拝者が絶えない。
現在は神格が昇って左の如く祀られている。
清水窪辨財天昇格改称
天八大龍神乃神
旧大森区史によるとこの地は太古大森海岸の入江の奥にあたり、更に低地に当たる洗足池や小池などは当時の海の名残出ると記されている。
庵主
散歩の記録に残していなかったのですが、2015年ごろに洗足池の周辺を歩き、そして2019年のお正月には、洗足池からスタートして小池公園まで歩き、大田区の住宅街にこんな谷津のような高低差と湧水があることに驚きました。
さらに大岡山商店街のすぐ近くに、「ものすごいまで邪気を捨て一心に念願」するような霊気漂う森があり、そこに湧水があったのですね。
洗足池の水源の一つがこの清水窪湧水であることに、ようやくたどり着いた散歩でした。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。