生活のあれこれ 5 さまざまな生活史

久慈川沿いの飲食店が続く細長い路地を歩いている時のメモに、カトリックの小さな教会があったことを書き留めていました。

帰宅してMacの地図を最大限に拡大してみましたが、載っていません。

検索したら、カトリック仙台教区の久慈教会だとわかりました。福島から青森まで、「53小教区(教会)と8巡回教会から成り立っている」とのことです。

 

けっこうカトリック教会があるのですね。いつ頃、どのようにこの地域にカトリックの信仰が広がっていったのでしょう。

そんなことがまた気になります。

 

さて久慈駅に戻ってきて、10時39分発の釜石行きの列車まで時間がまだあります。

駅の売店から良い香りがしてきて、ふらふらと誘われてしまいました。

もしかしたら今日もお昼ご飯を食べそびれるかもしれないと、ここで食べることにしました。

 

パッと目についたのが「ホタテうどん 500円」でした。

大きなホタテが一個、どんと乗っかっています。美味しい!

カウンターで食べていると、その向こうで私よりはひと世代ぐらい上でしょうか、調理してくださった女性二人がおしゃべりをし始めました。

女性がおしゃべりなのはどこでも同じかもしれませんね。

ただ、お二人の話し方がとても物静かで、相槌の打ち方も穏やかで、ホタテうどんを食べながら聴き入ってしまいました。

こんな静かなおしゃべりもあるのかと。

静かな声だったことと方言のため話の内容はわかりませんでしたが、なんだかBGMを聞いているような心地よさでした。

 

この雰囲気は、東南アジアの辺境の島で暮らしていた時に似ています。女性も男性も皆、静かに静かに話すのでした。

 

話し方ひとつにも個人差だけでなく、それぞれの地域の雰囲気があるのかもしれませんね。

 

 

*「もう一度細かな事実を出して行く」*

 

ところで1月になってしまったというのに、まだ2ヶ月前の遠出の記録が終わっていません。

最近は2泊3日の遠出だと、思いつくことがどんどんと増えて1ヶ月近くあれやこれやと書いています。

 

何故なのだろうと思っていたのですが、知らないことが増えてきたからとも言えるかもしれません。

たとえば一杯のホタテうどんを前にして、ホタテはどのように成長していくのかという生物学的な生活史から、それを獲る人たちはどんな生活をしているのか、どんな流通の歴史があるのか、目の前の調理をしてくれている女性はこの地域でどんな風に生きてこられたのかと、生活史やその歴史への関心が次々と広がっていきます。

 

最近、また村井吉敬さんや鶴見良行さんをよく思い出すようになりました。

 

村井吉敬さんも30代頃でしょうか、インドネシアに留学した時に書かれた本を読み返すと軍事政権への政治的な批判も書かれていて、それが「バナナと日本人」「エビと日本人」と日本の生活から社会問題として考えることになったのだろうと思います。

ただしだいに、搾取とか人権抑圧といった表現は使わない書き方になっている印象です。

 

歩けば歩くほど、気づいていなかった細かな事実が気になり、あまり結論めいたことは言えなくなる。

でもお二人もまた、関心がどんどんと深まっていく楽しさにわくわくされていたのかもしれないと想像しながら、なんだかいつも一緒に歩いているような気分になっています。

 

 

 

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