水のあれこれ 208 安倍川と駿府城下の街

.今回の散歩のテーマである駿河の海と並行に流れる川のうち、浮島ケ原と排水路の理由がわかりました。

 

岳南鉄道の周辺の湧水を見て吉原駅から14時30分発の島田行きに乗り、15時9分に静岡駅に到着しました。日が沈むまで2時間半ほどですから急ぎます。

 

午後と翌日にかけて、もう一つの「駿河の海と並行に流れる川」を見て歩きます。

 

駿府城の前の「雨が降っても嵐が吹いても濁流が襲っても動かない岩」*

 

最初は、静岡赤十字病院の西側にある静岡天満宮です。天満宮ですから学問の神様なのですが、由緒にこんなことが書かれていてかつては水の神様のようです。その地形を見てみたくなり、訪ねました。

安倍川の流れの中に、雨が降っても嵐が吹いても濁流が襲っても動かない岩がありました。

古代の人はそこに神が宿っていると信じました。静岡天満宮はそのような原始信仰を出発点としています。(ホームページより)

駿府城の周辺は平地に見えるのですが、その天満宮の場所だけ少し高い位置にありました。

 

*井宮神社から薩摩土手を歩く*

 

そこからバスで安倍街道沿いを通って、妙見下で下車しました。

 

どこから駿府城に水を引き入れていたのだろうと地図を眺めていた時に、「水道町」を見つけました。そして井宮神社の前から水色の線が安倍川へと流れ、その周辺は遊歩道のように住宅がない空間のように見えました。

ここが気になり検索していたら、薩摩土手であることがわかりました。

薩摩土手(さつまどて)、または駿府御囲堤(すんぷおかこいづつみ)は、静岡県静岡市葵区にある江戸時代初期の堤防。徳川家康が安倍川の氾濫から駿府城を守るために築堤した。

 

バス停を降りると神社の反対側に土手の断面が見えて、そこから安倍川に向かって土手が続いているようです。

まずは石段を登って賤機山(しずはたやま)にある井宮神社を参拝し、「高さ5.4メートル、全長約4キロメートル」の薩摩土手を歩いてみました。

 

土手もところどころ車道で寸断されているのですが、「井宮陸閘」といった手動式の鉄の扉があって、いざという時には閉鎖して堤防になるようです。

 

安倍川が近づいてきました。広々とした河川敷や堤防では、散歩をする人やスポーツをする人がけっこういました。

なかにはゴミ袋を片手に、拾いながら散歩をされている人もいらっしゃいました。

 

薄暮の中、穏やかに流れる安倍川と対岸の丘陵と、なんとも美しい風景です。

 

*水神社を訪ねる*

 

堤防の上ですっかり日が落ちました。ここからホテルまで、バスもないので4キロほど歩かなければなりません。

賤機山の石段を登ったのが体にこたえましたが、歩き続けなければどうしようもないので、もうひとつ計画にあった場所を訪ねることにしました。

 

堤防の近くに2箇所、「水神社」があるようです。

安倍川中学校の前にある水神社を訪ねてみました。GPSだけを頼りに、初めて歩く暗い夜道です。

安倍川のそばの小高い場所だろうと想像していたら、住宅街の平地でした。御由緒もわかりませんでした。

 

17時25分、ここで3万6千歩になりました。

今までの散歩の中での最高記録です。そういえば鮎壺の滝を眺めながらおにぎりを食べた のが最後の食事で、「腹が減った。店を探そう」の状態になりました。

 

横断歩道を渡るのにも反対側が果てしなく遠く見えて、足が動かなくなりそうです。

一本入ったところに「営業中」のお蕎麦やさんを見つけ、倒れこむように入りました。

天ざるを頼みました。空腹だけでなく、本当に美味しいお蕎麦と天ぷらでした。

お店を開けているのは土日と祝日のみで、奥様が入院中という理由に泣きそうになりました。

どうぞ、お店が続きますようにと祈りながら、店を後にしました。

 

それぞれの地域のそれぞれの生活、災害や人生の理不尽にどうやって生活をしているのだろう。

朝から歩いた場所のあちこちの歴史が、一気に押し寄せてきました。

 

 

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