行間を読む 146  井原鉄道について

いつか小田川のそばを歩いてみようと思って地図を眺めるようになった時に、JR伯備線清音駅とJR福塩線神辺駅を結ぶ井原鉄道に気付きました。

おそらく全国あちこちにあるような国鉄から分離されて第三セクターになった路線だろう、この区間はJRの一筆書き乗車券にできなくて残念、ということだけを考えていました。

 

実際に乗ってみて1時間9分ほどの車窓の散歩で印象に残ったのが、高架橋が多いことでした。

小田川の洪水によって線路が新しく付け替えられたのだろうと想像しましたが、帰宅して井原鉄道井原線の歴史を読むと、全く違っていました。

 

井原鉄道の歴史*

 

1913年(大正2年)ごろに計画された井原線が、紆余曲折を経て1999年(平成11年)に井原線総社ー清音ー神辺間が開業したことが書かれています。

1913年(大正2年)11月17日に井笠鉄道が笠岡ー北川ー井原間の本線を開業以来、北川ー矢掛間の矢掛線、井原ー神辺間の各軽便鉄道を運行し、また吉備線の延伸路線として総社ー井原ー神辺間を結ぶ井原線を計画していた。

 

一世紀以上前、川や山の地形を読みながら鉄道を敷いた当時の熱意や、鉄道と共にその周辺の生活はどんなふうに変化したのか、それぞれの地域の歴史がありますね。

 

計画は戦後までそのままになっていたのでしょうか。

一部が国鉄として使われるようになったことが次に書かれています。

1966年(昭和41年)5月14日に国鉄井原線の起工式が行われ、国鉄新線として着手。起工に合わせるように1967年(昭和42年)に井笠鉄道神辺線・矢掛線が、1971年(昭和46年)に本線が廃止された。井笠鉄道の線路跡は日本鉄道建設公団に買収されることになった。

 

おそらく、国鉄の経営で安定した新線になると期待されたのではないかと想像しています。

少しずつ増え始めた運転免許保有者が1966年には2,200万人になりましたが、豊かな時代になっていったとはいえ、当時小学生だった私には、その後一家に1台も2台も車を持つ時代になるとはやはり想像がつきませんでした。

 

1980年(昭和55年)国鉄再建法施行により国鉄井原線は建設中止が決定された。

 

国鉄井原線の建設中止の後、1986年(昭和61年)に「井原鉄道」が岡山・広島県と周辺自治体が中心になり設立され、すでに完成していた高架線や路盤を利用し1987年(昭和62年)から工事が再開された。

(強調は引用者による)

 

洪水対策というよりも、1966年に国鉄井原線として計画し建設された高架線だったようです。

高架橋が多い武蔵野線と同じく、1960年代から70年代当時の国鉄の最新式の工法だったのでしょうか。

 

日頃、iPhoneとMacのマップは鉄道を中心にした地図に切り替えて眺めているのですが、こうして実際にその地域を訪ね歴史を少し知ることで、また地図が重層的に見えてきますね。

 

そうそう、帰宅してから「井原線」は「いばらせん」と読むことに初めて気づきました。

 

 

 

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