運動のあれこれ 45  紛争地と赤十字

私自身は日本赤十字社関連の病院で働いたことはないのですが、日赤というと、とりわけ産科で働いていると主に輸血でその恩恵を受けています。全国津々浦々に輸血の供給システムが整備されたからこそ、どれだけの妊産褥婦さんたちが命を救われたことでしょうか。

 

私が看護学生だった1970年代後半には、赤十字社の理念と活動は「当たり前」のことのように受け止めていました。

特に、赤十字のマークをつけた施設を攻撃してはいけないというルールがあることが記憶に残っています。

 

改めて赤十字社のホームページを読むと、赤十字について知っているような気がしていましたが、私の認識はけっこういい加減でした。

 

*「赤十字マークの意味と約束事」*

 

しだいに残忍さを増すウクライナの状況が伝えられるにつれて、病院も標的にされていることに驚いたのが赤十字社のホームページを読み直すきっかけでした。

 

赤十字マークの意味と約束事」に書かれていました。

紛争地域等で「赤十字マーク」を掲げている病院や救護員などには、絶対に攻撃を加えてはならないと国際法や国内法で厳格に定められています。つまり、赤十字マークは、いざという時にわれわれ国民一人ひとりを守るマークなのです。

 

また赤十字マークは、病院や医療を象徴するマークだと思っている方も少なくないようですが、このようにとても大切な意味を持つマークであり、その使用については赤十字社と法律等に基づいて認められている組織に限られています。もちろん、一般の病院や医薬品などに使用することは禁止されています

(強調は引用者による)

 

白旗を揚げるように「ここは病院です」と赤い十字マークあるいは赤い月のマークを掲げれば標的にされないような、あるいは近代国家間であれば標的を選んで攻撃するというイメージを持っていました。あくまでも「近代国家間」ですが。

認識が甘いまま来てしまったのも、自分の国が束の間の平和の時代だったからなのかもしれませんね。

 

おそらく平時にこの文章を読むと、一般病院は人道的に保護されないのかと思ってしまったかもしれませんが、嘘を嘘で固めていくような今の状況を見ると、病院を盾にされかねないのでこうしたルールが必要なのだと思えてきました。

 

*「赤十字の7原則」*

 

もう一つ、知らなかったのが「赤十字の7原則」でした。

1965年にオーストリア・ウィーンで開催された第20回赤十字国際会議で「国際赤十字赤新月運動の基本原則」(赤十字基本7原則)が決議され、宣言されました。赤十字7原則は、赤十字の長い活動の中から生まれ、形づくられたものです。「人間の生命は尊重されなければならないし、苦しんでいる者は、敵味方の別なく救われなければならない」という「人道」こそが赤十字の基本で、他の原則は「人道」の原則を実現するために必要となる者です。

 

この「赤十字7原則」ができて十数年後、もしかしたら私も看護学校の授業で聞いたのかもしれません。

 

人道

 国際赤十字赤新月運動(以下、赤十字赤新月)は、戦場において差別なく負傷者に救護を与えたいという願いから生まれ、あらゆる状況下において人間の苦痛を予防し軽減することに、国際的および国内的に努力する。その目的は生命と健康を守り、人間の尊攘を確保することにある。赤十字赤新月は、全ての国民間の相互理解、友情、協力、および堅固な平和を助長する。

 

公平

 赤十字赤新月は、国籍、人権、宗教、社会的地位または政治上の意見によるいかなる差別もしない。赤十字赤新月はただ苦痛の度合いに従って個人を敬うことに努め、その場合最も急を要する困苦をまっさきに取り払う。

 

中立

 すべての人からいつも信頼を受けるために、赤十字赤新月は、戦闘行為の時いずれの側にも加わることを控え、いかなる場合にも政治的、人種的、宗教的または思想的性格の紛争には参加しない。

 

独立

 赤十字赤新月は独立である。各国の赤十字社赤新月社は、その国の政府の人道的事業の補助者であり、その国の法律に従うが、常に赤十字赤新月の諸原則にしたがって行動できるよう、その自主性を保たなければならない。

 

奉仕

 赤十字赤新月は、利益を求めない奉仕的救護組織である。

 

単一

 いかなる国にもただ一つの赤十字社あるいは赤新月社しかありえない。赤十字社赤新月社は、全ての人に門戸を開き、その国の全領土にわたって人道的事業を行わなければならない。

 

世界性

 赤十字赤新月は世界的機構であり、その中においてすべての赤十字社赤新月社は同等の権利を持ち、相互援助の義務を持つ。

 

 

「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、敵味方の区別なく救う」という、二世紀前には「特別な考えの組織」だった活動がこうして普遍性を持つようになったのですね。

 

現実の社会では、いつでもどこでも戦火に巻き込まれる可能性があって、「当たり前」になったはずのこうした考えが、いつこの国でも覆されるかわからないことを心しなければと思います。

 

20代から内戦状態の国々を訪ねた時には感じなかった 吐き気を今の状況に感じるのは、自分の国に帰れば大丈夫ということもまた幻想であり、いつこちらに飛び火するかわからないという緊張感であることが感じられるからなのだと思うこの頃です。

 

 

突如として暴君になる裸の王様を生み出さない対策を未だ築くことができていないのが人間の社会なので、紛争についていつも考えておく必要があるとでも言えるでしょうか。

 

 

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