運動のあれこれ 44 日本水難救済会

観光船事故のニュースで、「日本水難救済会」という組織があることを初めて知りました。

てっきり、ライフガードの皆さんを束ねる組織だと思ってそのホームページを読んでみたら、全く違った歴史を知りました。

 

海の犠牲者ゼロを目指して

 わが国は小さな島国ですが長大な海岸線を有し、その沿岸海域では船舶海難や海浜事故が発生しておりますが、船舶海難や海浜事故に迅速かつ的確に対応することは、海上保安庁や警察・消防などの国や地方自治体による公的な救難体制だけでは困難です。

 このため、全国の臨海道府県には民間ボランティア団体である40の地方水難救済会が設立されており、これら地方水難救済会の傘下にある救難所及び同支所が全国津々浦々に合計1,300ヶ所以上も配置され、海難発生等の一報を受けたときはこれらに所属する総勢約5万1千名のボランティア救助員が、荒天暗夜をも厭わず、生業を投げ打ってでも直ちに捜索救援活動に対応する体制をとっています。

 本会は、こうしたボランティア救助員の救難活動を支援するために、明治22(1889)年に創設されて以来、130年余の長い歴史がある団体ですが、これまで沿岸海域における人命・財産の救助において輝かしい実績と伝統を誇っております。

 また、沿岸海域のみならず、遥か洋上の船舶内で傷病者が発生した場合に、海上保安庁の船艇・航空機等により医師を現場に派遣し、傷病船員等を収容して応急手当てを施しつつ、最寄りの医療機関まで救急搬送するという、世界で唯一の洋上救急事業も運営しています。

 

Wikipedia水難救済会の沿革には、「1889年大日本帝国水難救済会として設立。1904年に帝国水難救済会となり、1949年に日本水難救済会と改称。公益法人制度改革に伴い、2011年に公益社団法人に移行」とありました。

 

海難事故の際に地元の漁師さんたちが救援活動に加わっていらっしゃることは耳にしていましたが、こういう組織が明治時代にすでにあったとは、本当に世の中のことを知らなさすぎました。

 

*水難救済会の歴史*

 

Wikipediaの水難救済会の出典に、「明治期山口県における水難救済会の組織形成」という論文へのリンクがありました。

「はじめに」に以下のように書かれています。

 日露戦争当時、日本赤十字社をモデルとして組織された帝国水難救済会が、公設消防組に類似した海難救助を目的とする「救護所」を下関に設置しており、主に漁民から構成される救助夫たちが周辺海域での救援活動にあたった。

 

戦争のさなかに日本赤十字社をモデルとして組織されたということは、「人の命を尊重し、苦しみの中にいるものは、敵味方の区別なく救う」という理念を受け入れていたということでしょうか。

 

ところが、明治時代には外国船を救助したにも関わらず行き違いがあったことがその「外国船と沿岸民」の、1881年岩手県宮古市に漂着した英国商船の救助活動について書かれていました。

(中略)しかし、横浜の英字新聞が、この遭難事件を取り上げて「積荷と船員の私物を横取りされ、虐待された」と書いたため、英国代理公使J・G・ケネディ外務大臣井上馨に厳重な抗議と調査を申し入れてきた。このため外務省は2人の幹部職員を派遣して調査にあたらせたが、その結果、略奪の事実はなくむしろ最上の日本食を提供するなど丁重にもてなしたことなどがわかり、英国の主張に反論した。

 

1907年(明治40)の房総半島白浜沖で遭難した米国船の船員が、救助されることをためらったことも書かれています。

(中略)船員は村民が救助に赴きたるを、未開野蛮国の海岸にて、船舶難破の際に蛮民等が変に乗じ却掠を行ふことあると同一視して、一時の思ひ違いより斯る挙動に出たるものにてもあるべし。

 

漂着した人を助けるというのは、「助けると見せかけて」と誤解される可能性もあるという大変さもありますね。

 

1970年代から90年代ごろ、東南アジア各国に漂着したボートピープルの人たちを救助したのも、こうした沿岸の漁民の人たちでした。

 

 

水難救助から水難学へ*

 

2年前に新型コロナウイルス感染拡大で初めて水難学を知りました。

 

水難救済会と水難学会の関係はわからないのですが、こうした救助のエピソードはそのままでは武勇伝だったり個人的な善意の体験談に終わってしまうところが、経験の中にひそむ理論をたぐりとって法則化し、また個人的体験談の限界を知るというまさに科学的な手法へと時代が変わってきたということなのかもしれませんね。

水難にあったらどうすればよいか、様々な解説がなされました。しっかりとした研究がなされないから、検証もされず妄想に基づいた解説が行われる風潮がありました。

 

ひとりひとりの妄想におどらされることなく、誰もが水難から生還するにはどうしたらよいか。その答えを出すためにはさまざまな分野の専門家が建設的に議論する立場が必要です。

 

失敗をも記録し、そこからより良い生活へと向かう。

 

未曾有の出来事のたびに、こうして地道に社会の中で続けられてきた活動を知る機会になっています。

そして、こうしたリスクマネージメントに基づいたニュースへと変化してきたことを感じますね。

 

 

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