散歩をする 383 修善寺の川合を歩き、踊り子号で戻る

予期していなかった中郷用水と温水池の歴史を知ることができ、その分水路の一つに沿って駿豆(すんず)線三島二日町駅を目指しました。

 

ここまでは時々日がさす時もあってなんとかお天気がもっていましたが、しだいに天城山のある南の方から黒い雨雲が近づいてきて、雨がぽつりぽつりと降り始めました。

韮山周辺は本降りの雨かもしれません。

さすがに昨日からずっと歩き通しなので、雨の中を歩くのは辛いかな、もう三島駅に戻って帰ろうかなと駅のベンチに座って考えていたら「急行通過」のアナウンスがありました。

ちょっと鄙びた鉄道の駿豆線にも急行があるのかとぼーっとしていたら、なんと修善寺まで直通の踊り子号が目の前を通り過ぎて行きました。

 

「そうだ、この手があった」と、修善寺駅へ行ってそこから東京行きの踊り子号で帰ろうと計画を変更しました。

 

修善寺行きの列車に乗り、狩野川の両岸の広々とした水田を眺めていると、沿線に白黒の模様の珍しい馬がいました。田方農業高校の敷地のようです。

疲れていても、車窓の風景が始まると一瞬でも見逃すまいと見入ってしまいますね。

2019年の秋に修善寺を訪ねた時には、左岸側から合流している桂川付近を眺めたのですが、今回は反対側の大見川が流れ込むあたりを見ようかと思っていると、修善寺駅の手前で山から用水路のような川があって水田があることが目に入りました。

 

13時前には修善寺駅に到着。

お腹も空いたので、駅前のお店にふらりと入りました。前回もこの辺りで食べたような気がするのですが、どのお店だったのか記憶が曖昧なままドアを開けると同じお店でした。

迷うことなく親子丼とお蕎麦のセットです。この辺りの特産の椎茸が入っているのを食べて、前回も同じものを頼んだことを思い出しました。

2年前と変わらない美味しいご飯を出してくださることは、並大抵のことではないですね。

少し胸が詰まりそうになりながらいただきました。

 

 

狩野川の川合を歩く*

 

食べたらまた歩けそうな気がしてきました。幸いに雨はぽつりぽつり程度です。

 

駅の南側の、狩野川本流と大見川が合流するあたりを目指して歩き始めましたが、途中で遊歩道が途切れたので引き返し、狩野川にかかる大きな橋の下をくぐって右岸側の遊歩道を歩いてみました。

 

ここから蛇行しながら緩やかに27kmほど流れて、駿河湾へと流れる狩野川ですが、昨日から歩いた黄瀬川もまた支流のひとつです。

深良用水が「一級河川 深良川」という表示を見て、「一級河川狩野川の水系」の意味だとすぐに理解できたのも、散歩で学んだことがつながってきた証拠ですね。

 

さくら堤公園から駅の方向へ戻る時に、先ほど車窓から見た川のそばを歩きました。「古川」は「こがわ」と読むようです。

水田のあたりまで歩くと菜の花が咲いていて、その向こうを踊り子号が通過して行きました。

 

地図で確認すると、古川はここから北東の田原野という盆地のあたりから山の合間を流れてくるようです。

「田原野」、きっと水田があるに違いありません。また行きたい場所が増えてしまいました。

 

駅に戻ると、またいつの間にか2万歩を超えていました。

一車両を独占という贅沢な踊り子号から車窓の風景を眺めて、今回の駿馬の如き河を訪ねる散歩が終わりました。

 

 

*おまけ*

 

今回もまた通り過ぎてしまった韮山のあたりですが、地図で見ると韮山反射炉がある山のあたりまでは狩野川右岸に平地が広がっています。

その堤防から2kmぐらい山側に「韮山土手和田」という地名を見つけて、なぜ川からだいぶ離れたところに「土手」なのだろうと思ったのですが、その答えが国土交通省沼津河川国道事務所の「狩野川の歴史」にある「狩野川河道の変遷」を見て理解できました。

 

山ギリギリのところと、もう少し現在の狩野川に近い場所と、旧河道が二つ描かれていて、そこに「横土手」「西土手」「土手和田」という地名が書かれていました。

 

ちょうど狩野川放水路が左岸側に建設されたあたりです。

「河道を変えながら流れる」ということを、現代ではほとんど気にしないで済んでいることにちょっと眩暈がしました。

 

 

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