居神神社の水の神様の祠に「家内安全 健康増進」と書かれていたことを書きました。
どの神社でも見かける言葉ですが、大げさではなく今サウロの回心とはこういうことかという気持ちになっています。
ちょうど10年ほど前に、何が自分の思考に影響してきたのだろうと半世紀ほどの人生を思い返して、「神棚と仏壇のない家庭に育った子はいい子ではないという不合理さ」から抜け出したいというあたりも大きかったかもしれないと書きました。
「家内安全 商売繁盛 健康増進 学問成就」といった、自分や家庭のことだけを祈ることがなんだか違うと、「狭い世界」から飛び出したかったのだと思います。
あるいは「この地に湧き出た清らかな水を祀った神」についても、2年前に「水の神様を訪ねる」を書き始めた頃だったらまだ、「大昔から水を求めそして水の怖さと闘ってきたアニミズム的な何か」と捉えただろうと思います。
ところが、16世紀ごろからの治水や干拓の歴史をたどるようになって、私が想像していたよりもはるかにすごい当時の土木技術があり、現代まで利用されていることに驚きます。
そして神社の御由緒を読むと、アニミズムというよりはその地域の地理や自然災害の歴史が記録されている写実的なものだと思うようになりました。
この11年ほどは「未曾有の」という事態の連続で、日常生活を普通におくることがどんなに得難いことだったのかを痛感する毎日になり、「家内安全 商売繁盛 健康増進 学問成就」を祈り続けてきた昔の人たちに近いものになりました。
何か起きればあっけなく失い、日常を取り戻すのは本当に大変ですからね。
私の半世紀ほどの人生は、人類の夢であった「無事に出産し、無事に育つ」という夢が急激に叶い、「理想の出産」「理想の育児」まで語らられる時代になり、その爆発的に増えた人口も飢えから解放され、経済的に豊かになることが急激に叶い、さらに万能感に満ちてさまざまなことに挑戦できる時代になった時代に重なります。
そのつかの間の平和な時代だったので、「家内安全 健康増進」がなんだか胡散臭く見えてしまったのかもしれません。
ですから最近はこの言葉を見ると、冷や汗というか赤面というか「急に視野がひらけて、物事の実態が理解できるようになった、サウロの回心」のような気持ちになるのです。
*おまけ*
「冷や汗」でブログ内の記事を検索したら、いつの間にかたくさん出てきました。
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