反動から中庸へ 12 他者への愛から自己愛へ

あれこれと浦島太郎になった気分になるこの頃ですが、その多くは技術的な変化が影響しているあるのかもしれません。

80年代半ばはまだ、国際機関でもテレックスだったのに、あっという間にインターネットとパソコンへ変化した90年代初頭あたりは、どんな玉手箱を開けたらこんな変化が起こるのだろうという驚きの連続でした。

 

ただ、それより少し前、1980年代半ばに海外で暮らして日本に戻ってきた時はその驚異的な変化の前だったのに、なぜか浦島太郎の気分になることがありました。

 

それが今日の題名です。

20代の私のあくまでも未熟で個人的な感覚の話なのですが、ふと社会が変わってしまったのではないかと不安に襲われるような時代でした。

 

*愛とは何か*

 

10代終わり頃から、自分が生きていることが現実なのか幻なのか変な感覚に囚われる、おそらく青年期の発達課題だったのだと思いますが、その答えを探しに休日になると大型書店の隅から隅まで眺めては本を購入していました。

 

ある日、中公文庫の一冊の本に目が止まりました。

「愛について」書かれた本で、題名も著者名も忘れてしまったのですが、上智大学の神父さんによる本でした。

「愛」というと「恋愛」をまず想起してしまうので手に取るのは恥ずかしかったのですが、何か惹かれるものがあって開いてみたら、そこにまず「日本人が考える愛(恋愛感情)と、キリスト教の愛とは違う」と書かれていました。

 

愛とは「他者への愛」「自分への愛」そして「神への愛」とがバランスをとった状態であるようなことが書かれていたと記憶しています。

 

それまでのドロドロした恋愛感情でもなく、産科看護で紹介され始めていた母と子の絆といったものでもなく、もっと違うものがある。

目の前の世界が広がるような感覚とともに、何度も何度も読んだ本の一冊でした。

 

もしかすると、青山士(あきら)氏が「人類の為」という言葉に出会った時も、こんな感じだったのかもしれません。

 

 

*自己愛に向かう世界へと変わっていた*

 

2年ほど東南アジアで暮らして、1980年代後半に日本に戻ってきた時に自己啓発セミナーをぼちぼちと耳にするようになり、浦島太郎の気分になったのでした。

 

何もかもが、「以前はこんな感じの人は目にしなかったのに」と思うことが増えました。

 

「他の人に理解されたい」「私が生きづらいのは〇〇のせい」「うまくいかなかったのは〇〇のせい」と、それまで耳にしたこともない精神疾患名にどのように対応したらよいかわからない状況に比例するかのように、自分を認めるとか自分を愛するといった表現を耳にする機会が増えました。

精神的な疾患が急増した反面、すごく自信に満ちて人に何かを教えたい人が増えたり、人前で大きな口を開けて喋り笑う人が増えたことも驚きでした。

あるいはカメラやマイクを向けられても物おじしない人も。

 

ちょっと前までは、照れ屋で人の前で話すなんて尻込みしているような日本人が多かったし、人より目立つことは「目立ちたがり屋」と敬遠されていたのですけれどね。

 

「自己愛」も否定的な意味合いが強かったのに、いつの間にか「素晴らしい自分」かのように変わってきた。

 

そして死ぬまで延々と自己実現と自己啓発が続くのですからシュールですね。

 

1980年代半ば、何が社会を変化させていったのだろう。

それともあの浦島太郎の気分は、私の気のせいだったのだろうか。

 

注意されないまま大人になっていくのも、ちょうどそのあたりの時代でした。

もう少し前をふりかえれば、児童福祉法・児童憲章・児童権利宣言といった言葉や概念が社会に広がり始めた時代の葛藤だったのかもしれません。

 

自分の子どもや他人を感情的に叱ることが多かった世代がその変化と葛藤の中で高齢者になり、そして自分と他者との関係を注意喚起されることが少なかった子どもたちがそろそろ中年になって、人から注意されることは危機回避というよりは、自分が否定されたと受け止める人も増えたのかもしれない。

 

その30年から半世紀ほどの時間を経て、反動の時代に変わりつつあるような雰囲気を、最近ちょっと感じることがあります。

 

 

冒頭の愛とは何かについて書かれた本をもう一度読みたいと思うのですが、検索しても見つかりません。

 

 

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