日頃はあまり政治家の皆さんの名前を覚えることがなくて、自分の仕事の関係省庁の大臣名でさえ記憶は危ういものです。
今回はさすがに自分が一票を投じたことの責任もあるので、名前が上がった方々の経歴をWikipediaで読んでみました。
なんとなく名前に記憶があったけれど、やはり祖父とか父親が政治家で二世とか三世だったという方が結構いらっしゃることもわかりました。
渦中の方々になると、縦にも横にもつながりが複雑で「一族」という感じのようです。
それぞれの経歴では、一つの党にずっと在籍されている方もいらっしゃれば、離党や復党を繰り返している方も結構いらっしゃるようですね。
イデオロギーで離散集合した政党ではなくても、何が問題解決なのか専門的な人と調整することは可能ではないのではないかと、遠い未来の政治のシステムを妄想しています。
*ねじれる*
そうそう、このところの「勝共」とか宗教や政治団体の話題に、かつて職場で出会った方々のことを思い出しました。
一時期、共産党系の病院でアルバイトをしたことがあります。政治的な背景を知らなくて、たまたますぐに仕事に入れたというのが理由でした。
病院全体が医療や福祉を良くしようという行動力があることに驚きましたが、、二交代か三交代かの議論のように上層部が決定した意向が強く、草の根運動のように「末端の参加者の意見がしばしば黙殺される」可能性もあるかもしれないと感じました。
ただ、そこで出会った人たちは他の人のことも自分のことのように心配する優しい人が多かったので、退職してからもそういう運動以外の個人的な付き合いはありました。
別の職場では学会系の方がいて、いつもその新聞や本を職場で読んでいました。
たまたまその方も、近所の一人暮らしの高齢者の手伝いなど自主的に社会のために何かしようとする思いがある方でした。
ある日、ふと、「なんだか共産党系の方と学会系の方って似ていますね。世の中のことに一生懸命になるところが」と私としては良い意味で言ったのですが、気分を害されたようでした。
たぶん、こうした心根の優しい人たちが社会を支えているところがあるのではないかと思うのですが、いったん踏み入れたら現場の狂気に抗えず、それぞれがお互いに脛に傷を持つものとなりいがみ合う、それがイデオロギーの怖さなのかもしれませんね。
求める方向は同じだったのか、それとも本当に違うのか。
それともその間でねじれているのでしょうか。
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あの日(2022年7月8日)から考えたことのまとめはこちら。