散歩をする 395 大和川水系から吉野川沿いの街へ

2日目の朝は4時過ぎに目が覚めました。窓は平城宮跡の方向だったのですが、残念ながら低い階だったので目の前はビルに阻まれました。夜が明ける頃の風景は幻想的なことでしょう。

 

テレビをつけたら秋田から宮古への車窓紀行を放送していました。懐かしい角館の手前の美しい水田や水路、そして2021年に乗った時には夜になってしまった山田線の車窓の風景を見ることができました。

一瞬、自分が今、奈良にいることさえ忘れてしまうほど朝から東北の美しい風景に浸ってしまいました。

 

奈良の天気予報は「奈良」「橿原」「五條」「宇陀」「吉野」「十津川」に分けられていました。

散歩の2日目はその「吉野」から「五條」を通って和歌山へと向かいます。

 

7時31分発のまほろば線に乗りました。通勤通学時間帯で満員でしたが二人がけシートだったので窓側の席に座ることができ、昨日歩いた場所が朝日の中で輝き始める風景をずっと見ることができました。

朝日に水面が輝く大和川を越えるあたりで列車は西へと向きを変え、畝傍駅のあたりで県立奈良医科大学病院の大きな建物が見えました。

 

高田駅で8時26分発の和歌山線に乗り換えました。高校生で超満員で、立ったまま車窓の美しい水田地帯を眺めました。玉手駅で一斉に高校生が下車し、車内は数人になりました。高校生の長い列が改札を通るのを待って、発車するようです。こういう日常の朝を経験できるのも遠出のおもしろさですね。

 

葛城(かつらぎ)川沿いに山あいへと入りました。川や道に沿って細長い集落や水田と、今までの奈良の風景とも少し違う印象でした。

 

8時50分吉野口駅に到着し、8時59分の近鉄吉野線の特急に乗り換えです。ホームの特急券発券機がまだ停止していてどこで購入したらよいかをJRの窓口で訪ねたりと、少し焦りました。

やれやれと特急のデラックスな席に座って、また車窓の風景に集中です。

 

地図では葛城川の支流に沿って、「水泥」とか「薬水(くすりみず)」といった興味深い地名があります。

どんな地名の由来があるのでしょう。

あっという間に過ぎていきました。

 

 

*県南部の周産期地域連携システム*

 

次の福神(ふくがみ)駅も名前にもひきつけられます。途中下車はしなかったのですが、ここも今回の遠出の目的の一つでもありました。

 

薬水川の右岸側は水田や集落、左岸側は崖のような場所を近鉄線が通っていて、福神駅に到着すると切り通しのようなホームで、駅はその崖の上にあるようでした。

その駅のすぐそばに南奈良総合医療センターがあるはずですが、車窓からは駐車場しか見えない高台にあるようです。

 

南奈良総合医療センターでが分娩を取り扱っておりませんが、当科で妊婦健診を受けて、奈良県立医科大学附属病院(奈良医大病院)のメディカルバースセンター(あるいは産科病棟)で安全でより良い出産をしていただく「周産期地域連携システム」を立ち上げました。

この「周産期地域連携システム」により奈良医大と南奈良総合医療センターの医師、助産師がオンラインで患者さんのカルテを共有して診察することができるようになりました、こうして南和地区に"奈良医大病院の産科外来診察室"が誕生しました。

妊婦健診と産後1ヶ月健診、乳児健診はここで受けられるようです。

 

2006年、大淀病院のニュースを追っていた日々から16年が過ぎました。

その後、奈良南部では分娩の取り扱施設がなくなったニュースに、どこで出産するのだろうと土地勘がないので見当もつきませんでした。

 

現在は、山沿いの道を走ってあの畝傍駅の近くに見えた奈良医大病院まで行くようです。

 

 

90年代に急激に救命できる医療レベルへと進歩したものの、現場のシステムやマンパワーが追いつかないまま常に最善の結果を求められ、敵わないと医療への批判も大きくなったあの時代

今もそれが続いているのですが、それは驚異的に変化する時代の葛藤あるいは竹の節のような時代で、ここを耐えれば何か希望が見えてくるのでしょうか。

それとも失ったことは大きかったのでしょうか。

 

そんなことを考えていたら大和川水系との分水嶺を越えて、吉野川沿いの急斜面に街が広がる大淀町の中心部に入り、吉野川を渡って8時59分に吉野神宮駅に到着しました。

 

吉野川の上流ですが、想像以上に川幅が広くゆったりと流れる川でした。

 

 

 

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