水のあれこれ 278 久米田池

とり天うどんで力が出てきました。JR東貝塚駅に向かって歩くと、駅の周辺には水田がありました。唐間池と堂の下池の水はここへつながっているのでしょうか。

 

JR阪和線で3つ目の久米田駅で下車しました。

地図を眺めているとここから1kmほど南東に大きな溜池があり、そばに周濠のある古墳もあるようです。ぜひ訪ねてみたいと計画していました。

「久米田」、お米や田んぼのことを考えていると惹きつけられる名前ですからね。

 

駅前から池の方向への道は緩やかですが上り坂です。うどんで元気は出たものの、3日間の散歩で足の疲れは蓄積していますから、一瞬引き返そうかと迷いました。でもやはり実際に見てみたいですからね。

 

商店街が続く緩やかな上り道を登り切ると、右手に小さな森が見えました。貝吹山古墳諸兄塚で、周囲が浅い池に囲まれた公園になっていました。

その先を左に曲がると、目の前がパッと開けるように青い水面が見えました。

想像以上に広い池です。

 

真新しい立派な石碑がありました。

行基渕(ぎょうぎぶち)

ここに「行基渕」がありました。

この渕は、行基菩薩が久米田池増築のとき、久米田池の辺(ほとり)につくられ、飲み水や洗い水に使用された、清らかな湧き水であったと云います。

以来。久米田池の主(あるじ)の竜神が、水の溜まるのを待ったと伝えられています。

 平成十三(二〇〇一)年一月吉日 久米田池土地改良区

 

なんとなく選んだ溜池で、また行基さんとつながったのでした。

 

そばに久米田池交流資料館があり、建物には縁側のように座って久米田池を眺められるようになっていました。想像していた質素な資料館ではなく、新しくおしゃれな建物でした。

 


*久米田池について*

 

交流資料館にこの地域の水資源や久米田池についての説明がありました。

 

泉州地方の水資源

 大阪府の南部に位置する泉州地方は、瀬戸内海気候に属し、日本列島の中では温暖で降水・降雪量の少ない地域といえます。日本全国を14の地域に分けて比べてみると、泉州地方の位置する近畿(臨海)地域の平均降水量は1,835mmで、全国平均の1,718mmを上まわっています。しかし、地域の面積と人口などを考慮して1人あたりの水資源を比べてみると、全国で13位と大変な水不足地域であることがわかります。

 中でも岸和田市域の降水量は、過去3年平均で1,140mm前後と、全国平均のおよそ70%しかありません。また市域は、和歌山県との境を東西に和泉山脈が連なり、丘陵地が発達し、平野部がせまく、大きな河川もなく、降った雨は河川を一気に流れ下り、短期間で大阪湾へと注ぎ込んでしまうため、平野部にとどまる水の量は多くありません。これらのことから、岸和田市の周辺には、多くのため池が造られるようになったと考えられています。

 

大阪府最大のため池:久米田池(岸和田市池尻町・岡山町)

 大阪府でもっとも広いため池です。面積が約45.6ha、周囲の塘(つつみ)の長さが約2.7kmあります。

 久米田池は、平安時代の末期、1176年に泉高父が記した『行基年譜』によると、734年に行基によって造られたとされています(久米田寺に伝えられているところでは、725年に着工し、738年に完成したとされています)。この際に、池を管理する施設とし、隆池院という寺院も建てられました。これが現在の久米田寺です。

 久米田池は、神於山(こうのやま)に源を発する現在の春木川によって形成された尾生谷(おぶだに)の開口部に、堤を築いて造られた「谷池」であったと考えられます。ところが、しだいに春木川の流れが変わり、川底も深くなり取水がむずかしくなると、牛滝川からも水路を引いて取水するようになりました。こうして久米田池の堤防は、谷の開口部だけでなく、周囲を巡るようになりました。

 

地図を眺めていたときに知りたかったことが網羅されていました。

 

しばらく外の縁側に腰掛けて広々とした久米田池を眺めたあと、そばにある久米田寺を訪ねました。

久米田寺

 久米田寺は、行基四十九院の一つに数えられる寺院で、天平10(738)年(一説に天平6年)に僧行基が久米田池の維持管理のために建立した隆池院(りゅうちいん)に始まります。

お寺の壁にあの行基さん大感謝祭のポスターが貼ってありました。

 

帰りは久米田池からの水路沿いの道を歩き、13時50分にJR久米田駅に到着しました。

まだ16700歩ですし時間もあるのですが体力の限界になりました。

このあと百舌鳥のあたりの古墳と周濠を歩くという壮大な計画がありましたが断念しました。新幹線を早めて帰宅することにして、充実の3日間の散歩が終わりました。

 

それにしても畿内のあちこちへと治水や利水のために出かけた行基さんは健脚ですね。

そして8世紀の初めにどうやって正確にその場所へと向かい、どうやって地形を見極めたのでしょう。

数年前に散歩を始めた頃は江戸時代の土木事業に圧倒されたのですが、最近はそれ以前の時代の事業にも畏敬の念が募ってきました。

 

 

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