散歩をする 475 真っ黒な雨雲に追いかけられながら狭山池へ

この日の朝、倉敷を出るときには四国に線状降水帯の可能性が伝えられていてお天気は下り坂の予報でした。伊丹の昆陽池についたときに雨がパラパラと落ちてきたのでここからは雨の中の散歩だと覚悟したのですが、なんとかお天気は持って阪急電鉄門戸厄神駅までたどりつきました。

 

午後は大阪の狭山池に向かいますが、東へ東へと移動するのでもしかしたら雨に降られないで済むかもしれません。

 

 

*慣れない乗り換えに緊張*

 

美味しいおそばをいただき以前の写真も見ることができたのでこの地域をもっと歩いて見たくなりましたが、先を急ぎ12時58分に門戸厄神駅から電車に乗りました。

 

狭山池まで1時間ほどですが、阪急、JR、南海と乗り継ぐので間違わないようにちょっと緊張です。

都内だと山手線を中心に各路線が放射状に各地へと向かうので、乗り慣れていない鉄道でもなんとなく行き先をイメージできるのですが、大阪周辺は路線図がまるで網の目というか条里制かのようでどこでどうやって何線に乗り換えるのか地図を眺めていてもいまだによくわかりません。

阪急線と阪神線の路線の違いも全然わかっていないですしね。

行くまでに何度も時刻表や駅構内図を確認してメモしたのでした。

 

13時ちょうどに阪急線西宮北口駅に到着し、13時5分の梅田行きに乗って13時18分に梅田駅につきました。特急でたった13分、伊丹と梅田は遠いのか近いのか距離感もないままです。

阪急梅田駅は想像以上に大きくて、JR大阪駅へはなんとなく人の流れに乗って向かいました。2020年に30年ぶりに訪ねた時は「新大阪」と「大阪」の正確な場所さえわからないぐらいでしたが、今回は梅田駅と大阪駅の地理がわかりました。

 

 JR環状線西九条行きに乗るためにホームで待っていると、「関西線、琵琶湖線山陽本線などが大雨のために遅れが出ている」とアナウンスがありました。

この時点ではまだ大阪駅周辺は曇りでした。

 

13時34分に大阪駅を出て、13時50分に新今宮駅で下車し南海電鉄に乗り換えです。南海鉄道の駅までどうやって歩くのだろうと緊張しながら改札を出ると、なんと目の前に並行して南海鉄道の改札がありました。便利ですね。

 

14時4分発の南海鉄道高野線急行に乗りました。「高野線」と聞くと終点まで行ってみたいではありませんか。またやり残した宿題を思い出しました。

 

進行方向右手に古墳と周濠が見えてきました。昨年11月初旬に奈良から和歌山そして大阪を訪ねたときに久米田池のあと、この三国ヶ丘から百舌鳥のあたりの古墳と周濠も訪ねようという無謀な計画がそのままです。

 

こちらはまだ陽がさしているのですが、車窓から見える西の空が真っ黒な雨雲になっていました。

東京アメッシュのようなものがあれば確認できたのですが、きっと伊丹のあたりは猛烈な雨のように見えました。

雨雲に追いつかれてしまわないうちに狭山池に到着できるでしょうか。

 

萩原天神駅のあたりから見事な水田地帯が広がり始めました。地図ではため池が多いのですが車窓からはわかりません。

14時21分北野田駅で各駅停車に乗り換えて、そこからすこしずつ上り坂になり14時28分大阪狭山市駅に到着しました。

まだ雨は大丈夫そうですが、蒸し暑いような少し冷たい風が吹き出したような、先を急ぎました。

 

 

*狭山池へ*

 

駅から狭山池までは、ため池側の小高い場所のためか平坦な道でした。

狭山池までの道案内があるので、ぼーっとしていてもそれに沿って歩けます。

マンホールの蓋に「2016年 狭山池は築造から1400年」と書かれていました。1400年ですからね、かないませんね。

 

まっすぐではない道に古い家も残る趣のある場所だと思っていたら、「中高野(なかこうや)街道」だそうです。

下高野街道中高野街道

 かつて高野山へ参詣する人々は高野街道を往来しました。高野街道には四つの経路があり、下高野・中高野・西高野の三つが大坂狭山市域を通ります。下高野街道四天王寺から狭山池北堤付近へ至り、報恩寺付近で中高野と合流します。南北朝期には、半田城・池尻城・野田城・大饗(おわい)城などの城郭が道沿いに築かれました。中高野街道は、平野大念佛寺付近から南下し、東野廃寺・狭山神社のある本市東部を通ったのち、西高野・東高野と合流して一本の高野街道となり高野山へ至ります。大阪市平野区で狭山道、本市で平野道とも呼ばれるこの道沿いには、古代からの寺社・遺跡、中世・近世からの融通念佛宗寺院が点在してます。

 この解説板の付近には、かつて狭山新宿という集落があり、狭山池を管理した樋役人(ひやくにん)の屋敷三十軒が道の両側に立ち並んでいました。

 

狭山池とともにある道であり、そして高野山までの寺社や城を結びながら道ができ、そして現在の鉄道もできたのでしょうか。

まさに道に歴史ありですし、歴史を知ると風景が違って見えますね。

 

ゆるやかに曲がった道の先に狭山池の土手が見えてきました。

あの上からはどんな風景が見えるのでしょう。ドキドキしながら上ると広大な水面が見えました。

先ほどまでは真っ黒な雲だったのに、灰色になって雨がスコールのように降っているのが見えます。

危ない危ない。

 

ざっと見たところではツルボは見つけられなかったのですが、土砂降りを避けるためにあわてて狭山池博物館へと向かいました。

 

 

 

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