プールが休業する年末の空いた時間にどこを歩こうかと考えていたのですが、そうだ玉川上水で歩き切っていない区間を歩こうと思い立ちました。
その区間だけだと歩くには短いので、井の頭公園から三鷹、境浄水場そして小金井公園間も歩いてみました。本当に、何度歩いても好きな道です。
小金井公園を過ぎて五日市街道と小金井街道の交差点で、「あっ、この場所は見たことがある」と思いました。
交差点に古い大きな民家そして反対側には竹やぶがあったのですが、幼稚園の頃から小学生の頃まで、年に1〜2回はその場所を通っていました。ここ半世紀ほどは通る機会がなかったのに、セピア色どころか当時のまま、その風景がありました。
ああ、私はあの頃から何度もこの玉川上水のあたりを通っていたのか。
何だかそのご縁のようなものに、ちょっと感激しました。
ただ当時の玉川上水は、まったく別の風景だった可能性があります。
・1965年3月31日ー浄水場機能の東村山浄水場への移転により、淀橋浄水場廃止。杉並区高井戸の水路は一部を残し暗渠化。千川上水取水分を除き、原水は小平監視所(東京都小平市、1963年完成)から東村山浄水場へ送水。
・1967年ー杉並区高井戸以東の水路の一部が中央自動車道建設用地に転用される。
・1971年ー大蔵省印刷局王子工場が千川上水からの取水を停止。以降、小平監視所以東はほぼ空堀化。ただし、三田用水への配水のため、境浄水場からは放水。
東京砂漠と言われた時代、そして恵比寿が工場地帯だった時代の玉川上水です。
あの頃はこの交差点を通過しても、目にも入らないくらい荒れ果てて、打ち捨てられた水路の姿だったのかもしれませんね。
・1986年8月27日ー東京都の「清流復活事業」により、小平監視所以東に下水処理水を使用して水流が復活。
今の姿に戻るには20年ほどの時間が必要だったようです。
当時、植えられた木々もまばらで背丈もそれほど大きくなかったのに、いまではあの半世紀前に見た家と竹やぶよりも昔からあった森かと思うような風景です。
それから四半世紀後に、偶然玉川上水の近くに住んだことがきっかけで水に関心が出て、あちこち散歩をしているのですから、人生というのは不思議ですね。
というわけで、この幼少時の記憶を散歩しようと、次の散歩の計画ができたのでした。
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