この季節になると、白と薄桃色の花が咲くハナミズキが周囲の若葉を引き立たせながらもその存在感を感じさせます。
このハナミズキを見ると、私はある方のはっきりした記憶とともに、自分の記憶の不確かさという両極端の感覚を思い起こすのです。
<ハナミズキについて>
不確かな記憶なのか正確な記憶なのかと悩んでいるのが、ハナミズキが咲く時期です。
私が最初にこの木を意識し始めたのは20代半ばなのですが、当時は、気温が上がって初夏を思わせる5月から6月ごろにシーズンだったという記憶があるのです。
半袖でも少し暑いかなぐらいの陽気の中で咲くイメージなので、最近は4月には咲くようになって「時期が早くなったのでは」と感じていました。
でもリンク先や他のサイトをみても、3月中旬から5月あたりが開花のシーズンになっているので、私の記憶違いなのかもしれません。
<とある女性の最期>
なぜこのハナミズキを意識し始めたかと言うと、20代半ばで一時期働いていた内科で出会ったひとりの女性がきっかけでした。
当時四十台半ばで、その地域の再開発計画を手がけていらっしゃる方でした。
1980年代にはまだ計画書の段階であったその再開発が終わり、今はとてもおしゃれな街に生れ変わっています。
生きていらっしゃれば、70代。
この街をどんな思いでながめたことでしょうか。
入退院を繰り返しながら仕事を続けられていた彼女は、志半ばでその新しい街を見るまでは生きられないことを感じていらっしゃったようでした。
肺がんの末期でした。
現在のように患者さんに病名告知をする時代ではなかったので、肺の慢性炎症疾患かなにかと言われていたのだと思います。
入院のたびに、呼吸が苦しそうになっているのがわかりました。
とても口数の少ない、そして人を寄せ付けないような雰囲気のある方で、看護スタッフも話をしにくい患者さんでした。
ただただ、わずかの変化をこちらも感じ取り、そしてがん末期であることをさとられないようにすることしかできませんでした。
肩で息をしている彼女に話しかけることはさらに呼吸を苦しくさせるので、私たちは足早に部屋をでるしかないのでした。
訪ねてくる家族や友人もほとんどなく、いつも静かに一人で何かを考えている様子でした。
<あのハナミズキは私が植えたの>
その当時も少しずつ街の整備が始っていました。
ある日初めて、本当に初めて彼女のされていた仕事について少しだけ話してくれました。
「あの通りにあるハナミズキ。あれは私が植える計画をたてたの」と。
そして、初めて少しだけ微笑んだのでした。
それ以降呼吸状態はどんどんと悪化し、訪室しても私たちに目をむけることも辛い様子になっていきました。
息を引き取られたあと、彼女が看護スタッフ全員に用意していたものが手渡されました。
白い麻のランチョンマットと木のバターナイフで、なんて最期までおしゃれな方なのだろうと思いました。
入退院のたびに自分の残された時間を感じ取り、仕事を整理し、そして自分の命の尽きる瞬間まで世話をする人たちへの配慮をする。
無念さや死への恐怖、心の中はいかばかりだったことでしょうか。
毎年、ハナミズキをみるとその方のことを思い出すのです。
そして20代の私からしたらとても大人の女性に見えた彼女だったのに、私の方がとっくにその年齢を越えてしまいました。
死を迎えるにあたってはあの方のように凛としていたいなと、なにか勇気のようなものをもらったのでした。
それがハナミズキの季節がくるたびに、鮮やかになっていく私の記憶です。
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