反動から中庸へ 13 国造りへの気持ち

三輪にある大神神社は日本最古の神社として耳にしたような記憶があるだけでした。

 

Wikipedia「大神神社」の「祭祀」に目が留まりました。

崇神天皇5年から疫病が流行り民が死亡し、同6年には、百姓流離し国に叛くものがあった天皇はこれを憂慮し、祭祀によって事態を解決しようとした。同7年2月、倭迹迹日百襲媛命に憑依して、大物主神を祀れば平らぐと神懸かりし、その後、天皇大物主神が夢懸りして現れ、その神託に従って同7年11月に物部氏の祖伊香色雄に命じ、大田田根子河内国茅渟県陶邑(のちの東陶器村)に探し出して祭祀主とし、大物主神を祀らせた。その結果、国内が鎮まり、五穀豊穣して百姓が賑わった(『日本書紀』)。

(強調は引用者による)

 

そして「創建」には「国造り」が書かれています。

 

私自身は、父の世代のイデオロギーへの反発から日本史や天皇の歴史を知ることを避けてきたところがありました。

それも時代の反動で、社会が落ち着くのには必要な時間だったのだと思います。

「国造り」という表現にもかなり警戒感を持っていました。

 

それでキリスト教への関心から聖書を読むようになったのですが、最初は物語から何が事実なのかを汲みとることにつまずきそうになりました。

「神の権威」ではなく「人間の失敗」という視点に切り替えて、初めて聖書の意味が少し見えてきました。

 

最近あちこちの水田を訪ね歩いているうちにそばにある神社や遺跡、あるいは現代の社会基盤を見る機会が増えました。

そこに書かれている説明にも、その時代の失敗がけっこう記録されていることがわかりました。

 

神社の御由緒にも治水や飢饉や疫病の歴史が書かれています。

 

国造りとはそういうことなのだ。

散歩をするようになって、「国造り」という言葉への抵抗感が少なくなってきました。

 

 

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