2018年ごろからあちこちに遠出するようになりましたが、地図を眺めていると行きたい場所が次々と出てきます。
2013年の村井吉敬さんの訃報を知ってから、1990年代に各地のダムや建設予定地や信濃川水系の治水を見に行ったことが思い出されるようになりました。当時は年に1~2回の頻度だったのですが、思い返すとけっこうあちこちに連れて行っていただきました。
*木頭村を訪ねた記憶をたぐりよせる*
あの美しい川のそばにあった村はどうなったのだろうと木頭村のことは時々思い出していたのですが、たしかこのあたりだったはずと地図で探したときに最初見つけられませんでした。
何を勘違いしていたのか吉野川上流だと思い込んでいましたから、見つかるはずがないですね。
今は地図に検索機能があるので便利ですよね。「木頭村」と打ち込んだら私が想像していたよりもずっと徳島県の南側の那賀川(なかがわ)の上流でした。
それぞれ仕事のスケジュールが違ったので、たしか徳島駅で現地集合してそこから村井さんや他の仲間たちとレンタカーで那賀川沿いに木頭村を訪ねたのだと思います。
私はどうやって徳島まで行ったのかどうやってチケットを購入したのか、全く記憶がありません。ネットの検索機能も今ほどではなかったので、時刻表をめくりながら計画したのだと思うのですが。
地図を拡大したり縮小しながら那賀川の水色の流れを上流へと追っていくと蛇行した流れが多くなり、途中に「長安」という地名でそこにダムがあったことも思い出しました。
「ちょうあん」ではなく、長安口(ながやすぐち)ダムです。
そこからさらに国道195号線沿いに杉林の多い道を上って行き、小さな村に到着したのでした。たしかこの道をまっすぐいけば高知県との県境と聞きました。
那賀川上流の河原は道路とそれほど変わらない高さで、砂利だったような記憶があります。
上流の杉林の間から美しい水の流れが静かにあった記憶が残っています。
当時村長さんだった方の家に泊めていただき、ここでもまた静かに村井さんや仲間の方たちがこの地域の話に耳を傾けていました。
何年だっかのかはっきりと覚えていないのですが、Wikipediaの長安口ダムの中の「細川内(ほそごうち)ダム」を読むと、1996年から2000年の間のようです。
春の快晴の日に訪ねましたが、雨の量がとても多い地域であるとうかがった記憶があります。
那賀川はその流域が台風の進路に当たる地域であり、年間の降水量が約3,200ミリにも及ぶに屈指の多雨地域である。加えて急しゅんな地形と河川勾配が多い急流であり、一度大雨が降ればたちまち暴れる河川であった。
木頭村を訪ねてほどなくして、細川内ダム計画は凍結されたとニュースがありました。
それで終わりではなく、地域の声をまとめる苦労を風の便りに聞きました。
当時は「多雨地域」のイメージしかなかった那賀川流域のその後の様子が、Wikipediaの「長安口ダム」に書かれていました。
連年の渇水と洪水
皮肉なことに、細川内ダム中止後から那賀川流域では深刻な水不足が頻発するようになった。下流の阿南市では2002年(平成14年)には25日間、2004年(平成16年)には6日間、2005年(平成17年)には113日間、2006年(平成18年)には1月から2月に掛けて厳しい給水制限が行われる程の水不足であった。特に2005年の場合は長安口ダムの貯水率は最大で4パーセントにまで下落、小見野々・川口両ダムもダム湖がほぼ枯渇する有様となり、阿南市の工業地帯における被害総額は約100億円以上という深刻な被害であった。また2004年には台風により流域は総雨量1,200ミリという猛烈な豪雨が降り注ぎ上流で土砂崩れが多発、長安口ダムには大量の流木と土砂が流入したが、このことも貯水容量に影響を与えた。ダムを管理する徳島県は貯水池上流に堆積した土砂を掘削して排出する「長安口ダム貯水池保全事業」を実施しようとしたが、漁業への影響が懸念されるとして漁業協同組合が反対し頓挫した。このため県はダム本体の改良を柱としたダム再開発事業を計画したが、財政難ということもあって着工するのは厳しい情勢であった。
訪ねた後にこんな時期があったとは知りませんでした。
現代は、上流から下流までのさまざまな問題を根気強く時間をかけて調整する時代ですね。
木頭村までは阿南市からバスを乗り継げば訪ねることができそうです。最近の木頭村はどんな感じだろうとWikipediaで検索したら、「木頭村(きとうそん)は、徳島県那賀郡にあった村である」と書かれていました。2005年に村はなくなり、那賀郡に合併したとありました。
名産の木頭ゆず(地理的表示登録)、木頭杉で知られ、秋には高の瀬峡の紅葉が見頃となる。また、木頭杉を使った木頭杉一本乗りの大会が8月に開催され、県内外からの参加者が詰めかける。
そうでした、村の中にあったゆずの加工場を見学させてもらいました。
杉と清流とゆずと、静かなあの地域の記憶が鮮明に蘇ってきました。
いつか那賀川流域を再び訪ねたいと思い始めて数年、ようやくその日がきました。
やり残した定点観測という宿題でもあり、おそらく知らなさすぎたことにヒヤリとすることばかりかもしれません。
残念ながら今回は下流だけですが、出来る限り記録を残しておきたいものです。
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