食べるということ 88 鳴門の食堂の煮魚

ときどきむしょうに魚を食べたくなり、それも身近な魚の焼き魚とかを食べたいのですが、それさえもちょっとためらう贅沢になってしまいました。

 

12時25分に鳴門郵便局前バス停で下車し、12時30分には昼食のために食堂へ入りました。

全く知らない場所なのにためらわずその店に向かったのは、第十堰に向かう途中の煮魚の香りで誘われて「お昼は魚を食べよう」と決めたからでした。

 

いつもの遠出だとお昼ご飯を食べる時間がなくておにぎりで済ませることが多いのですが、今日は魚を食べる強い決意になり、徳島駅でバスを待つ間、鳴門のお店を検索しました。

いかにも町の食堂というお店に、魚料理やうどんの写真がありました。

 

お店に入ってすぐ棚があり、料理が乗ったお皿が並んでいます。

迷わず鯖の煮付け、ほうれん草のおひたし、そしてちくわうどんを頼みました。

薄口醤油のうどんを時々食べたくなるのは母方の影響です。

 

お店の方がすぐに棚から鯖とほうれん草を出してくださり、うどんを待つ間に食べ始めました。

ああ満足!なんと美味しいのでしょう。

遠出先では食べられずに「幻の料理」になることが多いのですが、今回は願いが叶いました。

熱々のおうどんも懐かしい味で、「この味だ!」というものでした。

ついつい白いご飯も頼んでしまったのですが、ご飯についてきたたくあんもまた母方の祖父母の家を思い出す味でした。

 

店内は私の子どもの頃からありそうな雰囲気で、地元の方が入れ替わり立ち替わりお昼ご飯に来ていました。

 

「食堂」と言う言葉が広がった時代にはこれもまたおしゃれな言葉だったのかもしれませんが、1980年代ごろには「食堂」という呼び方や雰囲気を私自身はちょっと古臭く感じていました。

レストランとか最近ではカフェとかダイニングと名前が変わってきて、少し前だったら私も「食堂」だと選択しなかったかもしれません。

 

最近はむしろそういう名前のお店に求めていたものがあるような、新しいものは古くなり、古いものは新しくなると感じるようになりました。

 

「美味しかったです。魚の煮付けもおうどんも、こんな味を食べたいと思っていました」とお礼を言うと、「またいらしてくださいね」と。

ああ、またぜひ食べてみたいものです。

違う意味での幻の味になりました。

 

 

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