「境川」を意識したのは、2015年ごろから都内近郊の川や水辺を散歩をし始めた頃でした。
都県境の川は橋が少なかったり、対岸と風景が違うことがおもしろいと感じました。
ああ、だから境川というのかと、東京と神奈川の境目を上流から下流までところどころ歩いてみたり、浦安の猫実の境川を歩いてみたりしました。
2018年ごろから遠出をするようになって全国の地図を眺めるようになると、刈谷駅近くの境川を始め各地に境川があることが見えてきました。
Wikipediaの境川だけでもすごい数ですね。
いつか全ての境川を眺めることができるだろうか。壮大な目標があります。
Wikipediaでその一つ一つの境川について検索できるものもあれば、説明がない川もあります。
伊豆国と駿河国の境川も頼みの綱のWikipediaがありませんでした。
*狩野川水系の境川*
「しずおか河川ナビゲーション」の「狩野川水系」に境川を見つけました。
境川は、三島市幸原付近に源を発し、火山性扇状地を蛇行しながら南流して清水町的場地先で狩野川の8.8km地点右岸に合流する川です。
狩野川合流点には国土交通省により樋管及び排水機場が整備されています。かつての境川は、江戸中期までは幸原の青木橋付近で大場川から分かれた河川でしたが、大地震や大洪水(1659年)によって主流が大場川に移ったと伝えられており、現在では大場川の徳倉堰から取水した農業用水のみが流入しています。
また、境川の名は、かつてこの川と大場川の上流部が「伊豆」と「駿河」の境となっていたことに由来します。河道は、市街地を流れる上流部を除いて、平常時でも湧水の影響により流量が豊富です。中流部には、湧水を水源とする「丸池」があり、古くから灌漑(かんがい)に利用されてきたほか、丸池の周辺では湧水を利用した養漁業が営まれています。中流から下流にかけては、川沿いに古くから集落が形成されており、生活に必要な水を得やすかったことが覗えます。
「火山性扇状地」
あの険しい渓谷のような場所があったかと思えば、穏やかな平地の流れになるのも、この火山性扇状地ということでしょうか。
「江戸中期までは幸原の青木橋付近で大場川から分かれた河川」「現在では大場川の徳倉堰から取水した農業用水のみが流入している」
それで地図では三島駅西南で、忽然と流れが描かれ始めるのですね。
徳倉堰はどこだろうと探したら、航空写真では幸原町よりも北の長泉町桜堤の大場川右岸に堰らしいものが見えます。ここでしょうか。
「かつてこの川と大場川の上流部が「伊豆」と「駿河」の境となっていた」
境川の流れがそのまま国境ではなかったということでしょうか。
知れば知るほど、またわからないことが増えますね。
徳倉堰、どんな場所なのでしょう。
それにしてもその地域の川について歴史から地理までまとめられたサイトがあるなんて、うらやましいですね。
「水のあれこれ」まとめはこちら。