散歩をする 289 大高トンネルを訪ねる

三河安城駅から東海道本線に乗り、次の目的地の最寄駅である南大高駅に向かいました。

 

昨年の夏に近畿から東海をまわり、二日目は東海道本線に乗りながら豊橋まで戻りました。

その時にここも通過していたはずなのですが、おそらく計画した場所を訪ね終わって、車窓の風景をみる集中力が途切れたのだと思います。

 

ところで、関西方面の列車は進行方向に対して二人がけの車両が多いので視覚に飛び込むものも少ないし、肩をすぼめて座る必要もなく、肘で小突かれることもないし、乗降口が広くお地蔵さんもいないので乗りやすいですね。マナーとか個人の性格とかインフラが追いついていかないだけではなく、こういうシステムの違いでも気持ちに余裕が出て、人に優しくなれそうですね。

 

刈谷駅も前回通過したはずなのに、どんな地形だったかも記憶にありませんでした。

地図で見ると、逢妻川境川皆瀬川が合流し、さらに東海道本線の南側で石が瀬川、猿渡川が合流して衣浦湾という細長い湾にさらに小さな川が流れ込み、知多湾へと流れています。

川が合わさりあう様子を地図で見ただけでも、訪ねてみたくなります。

残念ながら今回も通過です。

その刈谷駅では、新快速の通過待ちだけでなく、貨物列車の通過待ちがありました。

 

大府駅では駅前に、愛知用水会館があるのが見えました。これから訪ねる愛知用水関連の建物を計画の段階で見逃したなんて痛恨のミスと思ったのですが、あとで検索すると、一般公開の資料館ではなさそうでした。

 

このあたりから少し高台へと列車が進んでいき、東海道新幹線の線路が見えてきて並走するように南大高駅に到着しました。

 

愛知用水大高トンネルへ*

 

この日は夕方から雨の予報でしたが、10時半ごろに南大高駅に到着した時には雨がぱらついてきました。

雨でちょっと気分が落ちたのですが、目の前を新幹線が行き交うのを見ることができて元気が出ました。

 

地図には名古屋第二環状自動車道伊勢湾岸自動車道インターチェンジが描かれていましたが、実際に降り立って見ると、その高架橋があちこちから合流する様子は子どもの頃に思い描いた近未来の図そのものです。その自動車道に囲まれた場所に水主が池がこじんまりとあり、カワウが営巣しているのか、滑空していました。

 

自動車が行き交う広い道路ですが、誰も歩いていません。小雨の中、とぼとぼと歩いていると、隣を新幹線がヒューっと通り過ぎていきます。

事前に頭に入れていた道へと入ったつもりが、工場や産業廃棄物処理場のある行き止まりの道に間違ったようです。前から後ろから大型車が入ってきました。あわててGPSをオンにしました。

 

名古屋第二環状自動車道の下をすぎると、それらしい場所が見えてきました。

「清水山」という地名の山裾のような場所から新幹線が出てきました。

ここが目指す大高トンネルのようです。用水路の気配はないのですが、ここを左折して愛知用水らしい場所を右手に見ながら歩きました。この辺りも工場や会社の敷地が続き、大型車がひっきりなしに通っています。

 

工場が途切れたところで、高い場所に用水路があるらしいことが見えてきました。

反対側へ行くと水路沿いに歩けるようですから、一旦、用水路の下をくぐりました。

少し高いところに水路があって、そのそばを散歩している人の姿も見えます。

ところがその遊歩道に入る道がみつからず、雨も本降りになり、また道に迷った時間のロスもあったので、ここで泣く泣く駅へと引き返したのでした。

 

帰りにもう一度、大高トンネルを新幹線が通過する様子を見ました。

あの上を愛知用水が流れているなんて、すごい構造ですね。

用水路の水量はどれくらいあるのでしょう。あの地盤はどのようなもので、どれだけの重さに耐えられると計算したのでしょうか。

1961年に愛知用水が先に完成して、その下にトンネルを造って新幹線を通すなんて誰が計画し、誰が工事を請け負ったのでしょうか。

一歩間違えれば大事故になりそうなのに、なんとすごい技術、そして責任の重さなのでしょうか。

その責任を背負う人たちのおかげで、今まで夢の超特急に乗ることができ、また豊富な水を利用した経済的な豊かさの恩恵に預かっていたのですね。

 

 

次回、東海道新幹線に乗る時にはこの場所を絶対に見逃さないようにしようと思いながら、土砂降りの中、南大高駅に戻りました。

散歩の初日が始まったばかりだというのに、圧倒されながらまた列車に乗りました。

 

 

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