水のあれこれ 330 讃岐のため池の水利慣行と歴史

水の資料館の展示では、その水利慣行についてもまとめられていました。

 

水不足が生んだ水利慣行 水をめぐる農民主体の規範

水利慣行は水の管理を村落共同体に委ねられるようになってから、農民が限られた水をいかに有効に利用するかをめぐって、知恵と自治意識を働かせて作った規範です。

その意味で水利観光は讃岐の農民達の水との闘いの証でもあります。

 

「水利慣行」、これまでもあちこちを訪ねた資料の中で知った言葉ですが、そのままにしていました。

 

そして国は違っても、「おまえの村に水はあるか」という挨拶ファラジの給水時間の記録を思い出しました。

 

 

*4つの水利慣行*

 

 

展示では具体的に説明がありました。

ため池水利を中心とした4形態の慣行

ため池農業が発達している讃岐地方では、水利慣行もため池水利に関わるものが中心になっています。その形態から見て、水利慣行を次の4つに分類することができます。

承水(しょうすい)慣行

ため池の貯水を確保する目的の慣行で、主にため池の上流域の水利団体との間で決められている慣習的な規範です。

配水慣行

配水順番の組み合わせを定めた番組によって配水を行う慣行です。一旦ため池貯水の取水を開始すると、受益地へ配水が一巡するまで、番組に基づいて昼夜兼行で配水します。

経費負担慣行

ため池・水路など水利施設の維持管理や配水に要する経費の負担に関する慣行です。一部の地域では上流優位の取り決めなどがあり、不公平感の強いものもあります。

分水慣行

通常、分け股または分木(ぶんき)と呼ばれる分水施設の構造や分水方法についての慣行です。各ため池掛(がか)り(受益地)での慣行と、親池と子池の間での慣行とがあります。

 

これからの散歩では、それぞれのため池がどのようにつながりどのような水利慣行があるのか、少し視点を広げてみることができそうです。

 

 

*「水利慣行の変遷」*

 

その歴史も展示されていました。

「大野録」という古い書物に、「寛文12年夏5月南条にて香水(こうのみず)という事を定む」と書き残されていて、水ブニ慣行が江戸時代に生まれたことが明らかになっています。

水ブニ慣行は昭和30年代までおよそ290年間も続きました。戦後の用水改良事業によって水ブニ慣行は消滅しましたが、その基礎をなす「番水制」は今も生き続けて、秩序ある配水に役立っています。香川用水の完成によって、香川の水事情は一変し、新しい水利機構野本で、新たな水利秩序が築かれつつああります。

(寛文12年・・・1672年)

 

「水ブニ慣行と番水制」でさらに詳しく説明されています。

水不足の深刻さが生んだ独特の慣行

水ブニ慣行は、讃岐地方独特の水利慣行です。「水ブニ」とは、水の持ち分という意味で、水田1枚1枚に水利権として水ブニが決められています。昭和30年代まで残っていましたが、しだいに姿を消し、現在ではその基盤となる「番水制」だけが生き続けています。

水ブニ慣行 線香をたいて配水時間を測定

水の持ち分である水ブニは、水田への配水時間の長さで決められています。配水時間は、線香をたき、燃えた長さで測定していました。このため、この水利慣行を「線香水」とか「香の水」ともよんでいました。また、水ブニは、売買の対象にもなり、さらには地主が一人占めにする「地主水」とよばれる慣行になった地域もあります。

番水制 現在も生き続ける配水慣行

番水制とは、ため池の配水区域をいくつかのブロックに分け、輪番制で配水していく慣行です。池には池守、分水工には股守、田への配水には「鍬かたぎ」・「水引き」等とよばれる水配(すいはい)さんがいて配水の管理・統制が行われていました。この番水制は現在も生き続けていて、平成6年の渇水時には、節水灌漑に威力を発揮しました。

 

整然とため池と水田が広がる風景には、こういう背景があるのですね。

 

 

*昭和まで続いた水争いの記録*

 

「農業用水の確保に困難を極めた讃岐地方では、昔から水をめぐる争いがしばしば起こりました」として、その一例が展示されていました。

 

江戸時代から昭和まで続いた紛争

三ツ子石池と奥ノ堂池の水争いは、江戸時代中期に始まったとされますが、明治初期には三ツ子石池掛りが裁判所に提訴。ついには大審院(現在の最高裁判所)まで上告して争いましたが、すべて三ツ子石池掛りが敗訴しています。その後も干ばつのたびに紛争をくり返しましたが、昭和14年の大干ばつを機に、吉田川上流に小川下池(こかげいけ)が新設され、さらには香川用水が完成したことで、今日ではこの水争いも過去のものになっています。

 

地図で確認すると、高松市の東側、あの琴電の水田駅西前田駅の間に流れる吉田川の上流部のようです。

 

はるばると香川県の東部に、この香川用水東西分水工から導水されているようです。

 

ため池と美しい水田地帯、水田が健在なのはそれぞれの地域の自然の厳しさや水争いを合理的に解決しようとしてきた歴史によるものと言えるのかもしれませんね。

 

充実した展示でした。

 

 

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