香川用水が完成して水争いがなくなった現代に、平成6年の渇水時に番水制が節水灌漑に威力を発揮と書かれていますが、その意味が水の資料館の最初の方に展示されていたこととつながりました。
渇水 そのとき農業用水は
平成6年は、まれに見る大渇水で、早明浦ダムは長期間にわたり厳しい取水制限が実施されました。農家の方々は連日節水対策に追われました。
「思い返そう・・・平成6年未曾有の大渇水」では、そのときの写真が展示されていました。
そのキャプションを記録しておきます。
(写真1)豊浜町大谷畑かん(梨)では池の水位が下がったので、筏を組み水中ポンプで畑かん揚水機へ送水。
(写真2)排水中の圃地に旗を立て時間制に基づき箱入り時計を使って、厳しい節水灌漑をしている豊稔池土地改良区。
(写真3)「走り水」灌水のため水が充分ゆき渡らない部分へタンク車と動噴で灌水(大野原町ほか各町)。
(写真4)香川用水吉津支線仁尾坂池掛かりでは犠牲田を出して水田を救済した。
(写真5)多度津町奥白方のブドウ園50haは池水位が下り7月中旬に散水を中止したため被害が拡大した。
(写真6)満濃池土地改良区末端のひさご池は8月16日に最後の配水を行なって枯渇した。
(写真7)池が枯渇したひさご池掛かりでは、下水処理を運搬して灌水したり、深井戸を新設したりして急場をしのいだ。
(写真8)貯水量の減少により、むき出しとなっている取水塔(満濃池)。
(写真9)満濃池掛かりの丸亀市垂水町では8月中旬頃50haが危機的状況になり急きょ重点配水を行い救済した。
(写真10)昼夜を通じて3交替制での水番(土器川右岸土地改良連合)。
(写真11)飯山町東小川土地改良区の被害状況。
(写真12)各田んぼの高いところに目印を立て、ここに水が達すると配水停止とする「走り水」灌水(飯野土地改良区)。
(写真13)北条池土地改良区では移動式ポンプ数十台を駆使して「走り水」灌水による節水を行なっている。
(写真14)坂出市松山土地改良区のみかん園270haは用水不足のため落葉・落果している。
(写真15)高松市西植田町浦山畑かん茶園畑の被害状況。
平成6年(1994年)の大渇水、そういえば関東も「東京砂漠」の時代以降整備された首都圏の水がめの様子が毎日のようにニュースになり取水制限が行われた年でしたが、早明浦ダムの水位も連日のように伝えられていたのがあの年だったのですね。
それで1990年台後半に四国を訪ねたときに早明浦ダムを知っていたのだとつながりました。
この10年の間に「未曾有の」という状況を実感することが増えたのですが、30年ほど前に「未曾有」の記録があったのでした。
「犠牲田」という言葉を初めて知りました。
ほんとうにひどい状況だったようです。
「記録のあれこれ」まとめはこちら。