散歩をする 483 豊川用水と牟呂用水と霞堤の地域、そして豊川放水路を歩く計画

今回の散歩は豊橋に2泊しましたが、ホテルの窓から新幹線のホームが見えるという最高の景色です。日が沈んでも、通過したり停車する東海道新幹線を飽きもせずに眺めました。

 

なぜこんなに新幹線に惹かれるのだろうと自分でもわけがわからなかったのですが、出かける直前に見た1960年代の東海道新幹線沿線のただただ野原のような空撮風景で見えてきました。

 

まだ新幹線が開業する前に都内から東海道本線と山陽本線を乗り継いで倉敷まで行った記憶から、現在の膨大な本数の新幹線を安全に運行するための正確なダイヤその安全を支え、安全を追求してきたことが、私が働いてきた医療の世界の驚異的に変化する時代と重なるからだと。

 

この半世紀ほどはどんな時代だったのだろうと振り返る時、新幹線の沿線の風景の変化からヒントが与えられるのでした。

 

*豊川用水も牟呂用水も霞堤も、そして豊川放水路もと欲張った散歩の計画*

 

さて、散歩の2日目は6時35分にホテルを出発しました。

 

まずは豊川用水東部幹線水路を目指す予定です。

前日の渥美半島では、高台にそれらしい場所が見えたけれど近づくこともできず、幻の水路となりました。

 

地図で豊川用水をたどると、愛知県東部の静岡県との県境の山の中に、途切れ途切れに「豊川用水東部幹線水路」を見つけました。

全てを訪ねてみたいものですが、比較的住宅地に近くて公共交通機関もある場所をまず訪ねてみることにしました。

 

そのあと豊橋駅に戻り、JR飯田線で新城(しんしろ)駅へ向かい、豊川左岸の牟呂用水の始まりの場所を訪ねます。

そこから西へと2~3km歩くと豊川の「霞堤」の一つ、金沢地区で、そのあたりを歩いて豊川を渡り、再びJR飯田線江島駅から小坂井駅で下車すると、そこは豊川放水路右岸側で昨年6月の大雨で病院まで浸水した地域です。

 

小坂井駅から豊川放水路右岸側を南西へと歩き、いつも新幹線の車窓から見ていた豊川放水路と豊川に挟まれた地域を歩き、バスで豊橋駅まで戻るというあれもこれもと欲張って詰め込んだ計画です。

 

 

東海道新幹線と豊川放水路*

 

2019年に豊川放水路を知った時に、こんな引用をしました。

…豊川は流路延長が短く、河道のこう配が大きいのに、流域の降水量に季節的な変化が大きいため、河況係数(年間の最大流量の最小流量に対する比)は8:1と全国主要河川の中では最高値を示している。このため過去なんども洪水に見舞われ、鎧堤と呼ばれる堤防を築いたり、民家の周りに石垣を築くなど対策が講じられてきたが、最終的に解決したのは1965年の豊川放水路の完成によってである。豊川を利用した灌漑用水としては、松原・牟呂用水に加えて、68年に完成した豊川用水がある。

コトバンク、世界大百科辞典、強調は引用者による)

 

1964年10月に東海道新幹線が開業していますが、その時点では豊川放水路は建設中で、もし梅雨前線や台風による洪水で豊川が氾濫することになれば東海道新幹線は開業が延期されたり運休もやむなしだったことでしょう。

 

ここを通過する時にはいつも豊川放水路と豊川の近くの美しい田園地帯を見逃さないように車窓に顔をつけて眺めています。そしてぜひ歩いてみたいと計画ができていました。

ところが、まさかの洪水でした。

 

またまた無謀な計画ですが、どこまで歩けるでしょうか。

 

 

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