生活のあれこれ 39 見かけだけを取り繕ったものに生活が影響される

とある政治家が話題になったのはその態度についてだったのですが、最近は政治家に対する社会の目が厳しくなったことの一つぐらいで読み飛ばすところでした。

 

ここまで批判されるのはどんな人でどんな生き方をしてきたのだろうとそのWikipediaを読んで、あの祭りとつながりました。

ニュースではこの時期恒例のという感じで毎年見かけますが、やはり地元ではさまざまな感情があることを知りました。

 

90年代に初めてそのイベントが始まった頃、まず原宿の竹の子族を思い出してなんだか気恥ずかしさが先に立ったのでした。

日常と非日常をきっちりと区切りをつけてなりきっていた竹の子族だったし、「目立ちたがり屋」と呼ばれる人は社会の中ではごく少数だったのですが、他人と同じことをすることを避けて個の世界へと変わっていったように見えた80年代から90年代に、集団で同じ衣装や動作で踊ることに惹きつけられる人が多いという矛盾に驚きました。

 

さらにいつの間にか仮装のような格好で歩く人が増え、街全体が「仮想の空間」にまでなっていく時代と同じく、毎年その「祭り」に参加するグループが増えているニュースが聞こえてきました。

 

ただ、そこに住む人たちに受け入れられて根付いていくのであれば、外野が何かいうことでもないですからね。

 

 

*「祭り」と似ているようで違う*

 

「共同体のつながりが薄くなった現代の反動で祭りを求める気持ちが復活した」というあたりなのだろうか思いつつ、なんだかあの「YOSAKOI」しかもローマ字、に違和感があるのはなんだろうと気になっていました。

 

子どもの頃の「盆踊り」以来、私自身は「お祭り」とは縁遠い生活ですが、昨年阿南市のケーブルテレビで地域の阿波おどりに惹きつけられました。

生活の中でずっと引き継がれて楽しんできたのがわかる雰囲気でした。

 

 

YOSAKOIソーラン祭り」はたしか学生が発案したものだったという記憶がありましたが、30年の時を経てその経緯を知ることとなりました。

由来は高知県高知市で開催されるよさこい祭り北海道では、6月上旬のこの時期は「さっぽろ雪まつり」のような北海道外からの観光客を呼び込む大きなイベントや観光材料が少ない一方で、本州以南では梅雨入りにあたるため避暑地を求め北海道に来る人々がいる。6月上旬にYOSAKOIソーラン祭りを開催することにより、さらに観光客を呼び込み、観光収入が増加するなど一定の経済効果を生んでいる。その反面、一部参加者や観客のマナーの悪さ、大通り公園をはじめとした札幌市内の交通規制、騒音などに対する札幌市民の苦情も少なからず存在する。

WikipediaYOSAKOIソーラン祭り」「概要」、強調は引用者による)

 

1980年代初め、6月に北海道を旅行したことがありますが、当時はまさに「北海道は梅雨も台風もなく、素晴らしい景色を楽しむことができる」シーズンでした。

 

札幌市内の広々とした美しい通りやまるで外国のような広い田園地帯に街が点在する車窓からの雄大な風景、そしてアイヌの人たちと開拓民の歴史と葛藤を感じることにも大きな意味がありました。

その生活の一部を見て回ることこそ、夜行列車と青函連絡船を乗り継いではるばる北海道へ出かける魅力と醍醐味でした。

 

その12年ほどあとに、この祭りが始まったようです。

1992年6月に「街は舞台だ!日本は変わる」を合言葉に、道内16大学の実行委員会150名で第1回YOSAKOIソーラン祭りを開催。

 

「さらに観光客を呼び込み、観光収入が増加する」、学園祭の延長のような始まりの錬金術になっている。それがなんだか気になっていた正体だったのかもしれません。

 

生活の中から生まれて続けられている祭りとも違い「祭りのようなイベント」が生活にどのような影響を与えたのか把握することもないし、責任をとる体制もないままなのだろうなと。

あの渋谷のハロウインと似ていますね。

それに対する住民の方々の思いが噴出するきっかけになっているのかもしれないと想像したのですが、事実はどうなのでしょう。

 

 

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