渋谷の「ハロウィン」のお祭り騒ぎは「8年前にSNSでの呼びかけでどこからともなく集まったのが始まり」だとテレビで説明していました。
当時はまだごく僅かな目立ちたい人だけで周囲はなんとなく引いて見ていて、じきにブームは終わるだろうぐらいの記憶です。
そのうちに注目され、それを見にくる人も増えはじめたのはこちらの記事に書いたこの頃でしたか。
先日のハロウィンでは帰宅途中の電車に仮装をした人がたくさんいましたが、私は日常と非日常が混乱した気分になったのと、堂々と非日常になりきれる人との感覚の差に戸惑って下を向いていたのでした。
やはりスマホの出現が大きいかもしれませんね。一瞬で写真や映像を全世界へと伝えて注目されるのですから。
1980年代には竹の子族もいましたが、限られた場所での仮装で終わると着替えて雑踏に紛れていたのに、今は仮想の世界が街中に溢れていてさらに異次元の格好をしたような人がそばに立っていることも珍しくなくなりました。「好みの問題」なので規制にはなじまない問題だと理解するようにしてはいましたが、何か不安になる変化です。
列車内の事件があったことで、今年は仮装したままの格好で列車に乗ることを控えるように呼びかけられていました。
*大混雑でも静かな秩序がある*
通勤や日常生活で利用している渋谷ですが、最近、またコロナ以前に近い混雑ですね。
さらに渋谷川の河岸段丘が数日でなくなるほどの大規模な再開発中で、工事にともなって駅周辺の経路が大きく変更することがあるのですが、数日もかからないで新しいルートに慣れていき、粛々と変化に対応した人の流れができています。
テレビで渋谷の映像を見ると無秩序な群衆による雑踏のように見えるのですが、そこには生活する人もたくさん歩いているので、私はむしろ静かな雑踏だなと感じています。
10代終わりの頃から渋谷の街を歩くのが好きだったのですが、少し大人に背伸びできる街であり、それが生活の一部でもあった。そんな感じでしょうか。
*危険な雑踏へ*
ところがあの「ハロウィン」のあたりから、雰囲気が変わった印象があります。
あのスクランブル交差点のあたりで大騒ぎすることが社会に認められたかのように錯覚する人が出てきたことに驚いています。
そしてそれを見るために出かける人がいる。
そのためにたくさんの警察官や警備員が動員されて、商店街の方々やボランティアが後片付けをしている様子が報道されるようになりました。
雑踏警備には国家資格までできたとニュースで伝えていました。
異常な人混みと非日常の感覚が生活の場に入り込むようになって、大きなイベントがある日は渋谷を通らないルートを考えるようになりました。
熱狂する人たちというのは怖いですからね。
最近満員電車が復活して人と密着しながら乗ることは嫌だなと思うのに、そしてさらに他の国で大事故があった直後なのに、自らあのぎゅうぎゅうの状況に飛び込んでいくのはなぜだろう。
自分は大丈夫という思い込みでしょうか。
昔の限られた地域のお祭りごとと違って、どこからどれくらいの人が集まるかも予測できない時代ですから、警備の問題よりは熱狂しやすい側の問題を考えた方がよいのではないかと思えてきました。
ほんの60年ほど前までは周囲に水田や畑も残っていたことを考えると、不思議な街ですね。
その前は牧場もあった渋谷でした。
ほんの数十年で多くの人が粛々と歩く雑踏が出現し、今はその秩序の揺らぎの時期なのでしょうか。
「落ち着いた街」まとめはこちら。
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