落ち着いた街 50 本当の「東海道」を浜松へ

2月中旬、5時45分ごろから白々と夜が明けて、天竜川のはるか東に牧之原台地とその手前の丘陵地帯が見え始めました。まるでお皿を伏せたような形で、本当に「台地」ですね。あの向こうが前日歩いた悠々と大井川が流れている地域ですから、ダイナミックな風景です。

 

ニュースを見ていたら、インドネシアの2億人を越える人口のためにインフラ整備が必要といった話が流れていました。

1990年代に「エビと日本人」からインドネシアについても知る機会が増えたころはまだ1億8000万人だったのが、現在は2億7000万人のようです。

インドネシアの歴史や現在の様子は知らないことだらけですが、一気に増えたその人たちは幸せに暮らせているのだろうか自由も手に入れられたのだろうか、映し出されるジャワ島などだけでなく、各地のさまざまな生活は大事にされているだろうかと考えながらニュースを聞きました。

 

 

東海道を浜松へ*

 

明るくなってきて、ホテルの真下の住宅の間に田んぼがあるのが見えました。金原明善の生家がある地域です。

そのうちに太陽が牧之原台地の南端から昇り始めました。

 

浜松駅へ向かうのにJRではなく遠州鉄道バスに乗ってみることにしました。

前日に県道312号線の交差点を通った時に「東海道案内板」があり、どうやら浜松駅までのバス路線が通っているのが旧東海道だとわかりました。

 

ようこそ浜松「東区」へ

【東区は江戸と京のどまんなか】

 浜松市東区は、平成19年4月、浜松市政令都市移行に伴い誕生しました。

 東区は浜松市の東の玄関口にあたり、交通の要地となっています。区内を走る「東海道」は、近世の東海道五十三次では見付宿から浜松宿へと至る道で、現在の中野町は、江戸へ約62里、京都へ約64里と、東海道のほぼ中間地点に位置することから中野町と称されたと言われています。

 

ところで、この案内板があるあたりから天竜川駅の辺りは「天龍川町」のようですが、「竜」と「龍」をどうやって使い分けているのでしょう。

 

バス停の前に「天竜森林組合」と書かれた木製のベンチが置かれています。車窓からみていると、ほとんどのバス停にありました。雨にも風にもそして日差しにも強そうなベンチです。

これだけでも歩いてみたいと、その街が好きになりそうですね。

 

車窓からは松並木がところどころ残り、灰色の屋根瓦の落ち着いた街並みです。家々の間隔もぎっしりではなくゆとりがあり、そして新旧の家がほどよく混じっています。

市街地が近づくにつれて町屋風の家も残っているのが見えました。

 

最初は四人ほどの乗客でしたが、しだいに通勤通学客でいっぱいになり浜松駅に到着しました。

 

東海道新幹線天竜川を越えて浜松駅を通過するあたりは、工場や住宅街から一気に都市の風景になっていき、川も浜松駅の東側を流れる都市河川の趣の馬込川くらいでしたから、今まであまり浜松駅周辺を歩こうという計画はありませんでした。

 

ところが、そのビルの向こう数百メートルのところに東海道の面影の残る地域があり、そこを毎日バスに乗って通勤に「東海道」を利用している生活がありました。

 

こんな通勤いいなあと思いながら、下車する前に「ピッ」とPASMOをタッチしたら反応しません。

焦ったら、なんと遠州鉄道ICカードのみでPASMOは使えなかったのでした。

どうりで乗車するときにちょっと手応えが違いました。

まあ郷にいれば郷に従えで、それぞれの地域の経済がありますからね。

 

東海道から到着した大都会風の浜松駅のビル群にちょっとくらくらしながら、東海道本線の駅へと向かいました。

 

 

 

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