二十数年前に助産婦学生だった時に使った教科書には、約20ページにわたって「家庭分娩」つまり自宅分娩での分娩介助方法が載っています。
ちょうど助産所での分娩が見直され、さらに自宅分娩を介助する助産師も出始めてきた時期でした。
(略)家庭分娩のもつ雰囲気を施設分娩のなかに取り入れて、母子看護が行われる必要があるのではないだろうか。いずれにせよ家庭分娩では、助産婦が分娩管理の主役を引き受けなければならない。このためには、家庭分娩に対する十分な知識を持ち、対処する必要性がある。
「母子保健ノート2 助産学」(p.551)(日本看護協会出版会、1987年)
教科書では家庭分娩を積極的に勧めているわけではなく、それを希望する限られた人には産科医が対応できるわけではないから助産婦がやらざるを得ない、そのために習熟する必要があるという認識であったわけです。
その教科書に載っている、家庭分娩の準備物品のリストや写真をみると、わずか二十数年でも日本はさらに物質的に豊かになったものだとあらためて驚きます。
当時もすでに経済的に豊かだと感じていたので、私自身としては物に不自由な思いをしたこともなかったのですが、今考えればまだ携帯電話もパソコンもごくごく限られた人たちしか使っていませんでした。
医療現場で医療製品や使い捨ての物品が豊かになったのも、歴史の中で考えればごく最近であることは9月11日の「医療介入とは 13 <点滴、血管確保、子宮収縮剤、その2>」で書きました。
http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20120911
その教科書の「分娩介助用具一式」の写真をお見せできないのが残念ですが、助産婦かばん、消毒缶(消毒ガーゼ、綿球いれ)、消毒薬品瓶など、すでに博物館入りしそうなぐらい古く感じるものが掲載されています。
経済的にすでに豊かになった1980年代後半でこうであったのなら、半世紀前までの日本の家庭分娩ではどのような物品をお産の時に使っていたのでしょうか。
教科書にかかれている準備物品から、想像してみようと思います。
<「防水」が重要なポイント>
助産師にとって出産時に使用する物品の重要性として、感染予防のために適切な消毒がされていることの次に、「防水」がくるのではないかと思います。
上記の教科書の家庭分娩の準備でも、防水を強調した部分が数多く書かれています。
2.防水
出血、汚物による汚れなどを考慮し、産床の下に防水用の設備をする(ピクニック用ビニール敷物を用いると便利。
3.産床に準備するもの(表12)
敷布団:綿で硬く、産婦の体がふとんの中に沈まないものを用いる。敷布団あるいはベッドのマットレスの上に花ござ、あるいは薄い板を敷くこともよい。とくに産婦の中央部には、敷布の厚いものを用い、両端を固定してしわにならないようにし、その上から大きなビニールシーツで覆っておくと、ふとんの汚染を防ぐことができる。
(中略)
敷布および掛け布:分娩時汚染することも考慮に入れて、各2〜3枚用意する。
(中略)
敷布は上半身、下半身を分離できるようにしておくと、下半身の部分が汚染しても、その部分だけ取りかえることができる。
(中略)
腰枕は高さを調節できる器具もあるが、家庭分娩の場合には、座布団を2つ折りにしたものか固い枕を用い、その周辺をバスタオルで巻いて太いビニールひも等で固く巻き上げる。その周囲をビニール布で包み汚染しないように作る。
これを読むだけでも、防水のための準備がどれだけ重要か理解できるのではないかと思います。
分娩第1期はまだ横になったり動いたり自由にできるとしても、いつ破水するかわからないのがお産です。
いきなりバシャッと着ているものがびしょぬれになる量の、血液の混じった羊水が出て驚いた経験を持つ方も多いのではないかと思います。
それが布団や畳に染み込んでは大変です。
布団は使い物にならず廃棄せざるを得ないことになるでしょう。
あるいは赤ちゃんが生まれる直前に、産婦さんが自由に立ったり座ったりした姿勢をして介助者が手探りの状態で児娩出を介助するとなれば、羊水や血液だけでなく産婦さんの便がどこに落下するかもわかりません。
それにしてもビニールで包まれた布団類の上は、寝ごこちも悪いのではないでしょうか。蒸れて暑そうだし、滑りそうですね。
現代では、防水性の優れた分娩時用の下着や大きめの分娩用ナプキンも何不自由なく準備できます。
防水シーツも一見普通の布地と同じ感触のものもあり、快適性も損なうことなく防水効果を得られるものも準備可能です。
少し前までの病院では、表面をゴムで防水加工したゴムシーツを使用していました。
使い捨てにはできないので、洗って消毒して再使用していました。
今は感染予防のために使い捨ての防水シーツを使用し、さらに分娩直前には吸水力のある滅菌した使い捨ての分娩マットを使い、二重の防水対策をしているところが多いと思います。
こうした優れた防水製品、あるいは羊水や出血を受け止める質の良い分娩用のナプキン類がない時代には、お産の場というのは本当に汚れたのではないかと思います。
物のない時代にはそうした汚れを考えて、お産は汚れてもよい場所で、そして汚れて捨ててもよいものを利用して行っていたことでしょう。
当然、産婦さんが快適に横たわれるようなお布団も場所もなかったことは想像に難くないことです。
そしてもうひとつ、出産の汚れとともにケガレという捉え方で、出産後に褥婦さんが横になれない習慣があったことが、「叢書 いのちの民俗学1 出産」(板橋春夫著、社会評論社、2012年9月)に書かれていました。
次回はそれについて紹介しようと思います。